信 仰 雑 話               表の上が新しく、下が古い。         

 
        
むなしさとの闘い

 十字架と殺し合いの歴史ーウクライナを思う
(2023.4.1)
四旬節と断食

 現代における断食の意味を探る
(2020.3.7)
宣教と神体験

 イエスが使徒を宣教に遣わされた意味を探る
(2019.7.12)
被造物の中に神の国が

「神の国」がここに来ていることの証拠は被造物の中にある
(2019.2.1)
ガンに遭うがよく候

ガンを生きるとは
(2018.6.2)
身体と信仰

道元禅とカトリック霊性・フランシスコの霊性との出会い(2)
(2018.4.18)
いま・ここに・ある

道元禅とカトリック霊性・フランシスコの霊性との出会い(1)
(2018.1.15)
祈りの道を行く

祈りの原点を求めて、熊野古道を歩く(2017.9.15)
いのちの平和

いのちといのちの連帯が争いを防ぐ(2017.8.1)
農村を都会につなぐ

山村でINPUTしたものを大阪でOUTPUTする(2017.6.8)


                   東日本大震災関連         
福島を訪れて

核開発のあまりに大きな犠牲(2017.5.1)
石巻・女川を訪れる

人間の生と死とは  (2015.8.1)
いま思う 3.11
ようやく3.11を語る心ができました (2015.4.7)


                   長野県豊丘村で

聖書の中のムラ社会
2千年前も今も変わらない
自然災害・人間による災害
ミャンマーと中国四川省の犠牲者を悼んで
天は神の栄光を語り
天地万物は神を語っている
万物は言によって成った
イエスは万物の創造主?
農村宣教の歴史
農村における宣教
自然災害の苦しみ
災害の悲しみをどこにぶつけたらいいの?
被造物も待降節
被造物はうめきをもって神の子たち出現を待っている
たくわえる喜び
蓄えることの危険性と安心感
神の身近に生きる
神を身近に感じますか
ぼくとつな農民の信仰
ユダヤ教徒の農民の信仰
キリスト教の農村化
日本文化を生きるキリスト教へ
クリスマスは神の創造の賛歌
生命の誕生は神の創造
土着化と根っこ
根を広く深く張らなければ土着しない
被造物は兄弟?
「太陽の賛歌」に見る兄弟とは
福音と宣教
語る宣教から生きる宣教へ
生命のきらめき
私たちの生きる目的は
苦しみの神秘
不条理な苦しみや不幸について
荒野のイエス
イエスの原体験
教会の未来を農村に見る
教会活性化のヒントを農村に見る
放蕩息子とふるさと
ふるさとの意味を考える
テロ事件と宗教
報復は非キリスト教的だ
イエスの死と復活
人生の意義、死の意味、死後の世界
食べるということ
食べることによって人間性を取り戻す