聖書の中のムラ社会



 イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。
 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。
 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。
          (マルコ 6:1−6)

 マルコ福音書のこの箇所を読むと、農村に住んでいる者は思わずニヤリとするに違いない。こういう体験はよくあることだからである。
 農村に住んでいるとその地域での人間関係はとても濃く、お互いに家族構成とか職業、だいたいの財産とか家庭内の人間関係までお見通しである。だから、イエスが故郷であのように言われたからといってショックを受けられたとはとうてい思えない。

 マルコ福音書を書いたマルコは、福音書の中ではヨハネ18章のゲッセマニの園でイエスが逮捕されるときの一度しか登場しないが、どうも都会生まれの都会育ちのような気がする。だから、農村を知らないマルコにとって、ムラ社会的な農村での出来事にイエスは「驚かれた」と表現したのだろう。しかし、イエスは30年間も育ってきた故郷の状況を、よくご存知のだったはずである。驚くようなことではなかったと思うのである。
 しかし、よく知り合っているからこそ、錦を飾って帰郷したものにはやっかみやねたみが生じる。故郷の人々のイエスに対する態度は、このようなものだったのだろう。ムラ社会の閉鎖性といえばそうなのだが、人間の心は都会の人間も農村の人間もそう変わりはない。農村の閉鎖性を嫌って都会に出た若者が、都会のあまりにも希薄な人間関係に深く傷ついて行くといったケースはあまりにも多い。

 イエスは故郷の閉鎖的な人間関係から、農村を嫌ったり軽蔑はなさらなかった。それどころか、「付近の村を巡り歩いてお教えにな」るのである。
 イエスがよくたとえとして用いられるのは、種蒔きや収穫、漁など農業や漁業に関する事柄が多い。また、人々に教えられるときよく利用されるのが、福音書では「小舟」とあるが、なんのことない「漁船」である。

 イエスの宣教の主舞台は農漁村だったのである。