5月は大自然の猛威の前になすすべもなく、多くの人の命が失われました。5月2・3日にミャンマー南部の海岸を襲ったサイクロン(インド洋の台風をサイクロンと呼ぶ)は、じつに13万人もの死者を出し、5月12日に起きた四川省の大地震では、犠牲者は6万人を超えるだろうと言われています。
謹んで亡くなられた方々のご冥福と、家族や友人を失った方々、また、けがをされたそれこそ膨大な数の方々の上に、神さまのご加護と人類の愛と思いやりを祈りたいと思います。
1995年・平成7年に起きた阪神・淡路大地震の犠牲者は6500人で、その犠牲者の多さに大きな衝撃を受け、いまだに忘れ得ない出来事として記憶に鮮烈に残っていますが、しかし、四川大地震の犠牲者はその10倍、ミャンマーのサイクロンの犠牲者にいたってはその20倍超になります。
いつものことですが、このような大災害が起こるたびに、マスコミは異常なぐらい活気づきます。マスコミの持っている「知らせる」「伝える」という使命は当然のことですが、視聴率を上げ、発行部数を伸ばす絶好の機会とばかりにその災害を報道する姿には、違和感を感じることがあります。また、テレビや新聞で出来事を見、専門家の解説や説明で納得し、それで終わってしまう私たちにとっても、その出来事は自分にとってなんの意味があるのか、ただの好奇心を満足させることだけではないか、と思ってしまいます。
ときどき、このような悲惨な出来事を見てもほとんど心を動かされない、冷たい心の自分に気づかされて愕然とすることがあります。他人の死や哀しみ、苦しみに平然としていられる自分。自分はいつからこんなに人間らしさを失ってしまったのだろう。テレビは世界中の哀しみや苦しみを報じてくれますが、それと同時に、それがどこにでも起こりうる出来事、そう珍しくない出来事として、哀しみを共にする心を麻痺させてしまう弊害をも持っているようです。
死者の数に惑わされることなく、亡くなった一人一人、残された家族一人一人の上に思いを馳せることが出来たら、もっと被災地とつながっていくことが出来ると思います。
それにしても、ミャンマーにしても四川省にしても、人間の愚かさや罪深さが被害を拡大し、哀しみや苦しみをさらに深めていることに腹立たしさを感じます。このような大災害は、人間が人間の心を取り戻していく機会となります。苦しみや悲しみに共感できる心を取り戻させてくれるからです。それが亡くなった方々へのせめてもの追悼になります。そして、とくにミャンマーの軍事政権が人間の心を完全に失っていないことを祈るばかりです。
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