被造物の中に神の国が

2019.2.1


 「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
  土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」

  更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」 
                                                  (マルコ 4:27−32)


 イエスは「神の国」(神がここにいて、支配している状態)がもう始まっていることを、宣教の柱としていく。具体的には、さまざまな病人を癒やし、大漁やパンを増やす等の奇跡を行っていく。それは、神がイエスを通して一人ひとりの傍にいて慈しみ、働いていることの証しである。
 父なる神はイエスを通して、一人ひとりのいのちと触れていく。いのちがいのちに触れ、いのちを力づけ、いのちを甦らせていく。これが病人の癒やしである。

 いのちである神は、造られたものに命を与え、生かしていく。これが生きとし生けるものの姿である。