いま思う 3.11


 2011年3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沿岸でM9.0の大地震が起こった。
私もその時期はまだ農作業もそれほど忙しくなく家にいたが、この長野県南部でも震度4を記録し、すぐテレビをつけたところ、太平洋の広範囲にわたる沿岸に津波警報が出されていた。
 それからしばらくして、テレビで津波襲来の実況を見ることになった。津波のすさまじい襲来と破壊力に、心臓の脈拍が上がり呼吸が苦しくなるようなショックを受け、身体が凍り付いたようになってしまった。
 時がたつにつれ、だんだん明らかにされていくその被害のすさまじさに、ただただ呆然とするばかりであった。正直なところ、被害に遭われた被災者の痛み悲しみ苦しみを思うというより、この大自然のあまりに凶暴な姿に呆然としていた、というのがそのときの自分である。

 そして、数日後に起こった福島第一原子力発電所の事故。私も浜岡原発停止訴訟の元原告団の一人として、原発の恐ろしさを訴えてきたが、「もし」などありえないとする安全神話に私の気持ちも緩んでいたのかもしれない。「まさか」という不意を突かれた驚きとともに、そのあまりに大きな被害に、あらためて原発事故の恐ろしさを思い知らされた。
 あらためて、というのは1986年旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェリノブイリ原発の爆発事故である。放射能拡散は遠くノルウェーにまで達し、40万人が避難し、いまだに放射能を放出し続けている。いまから25年ほど前の出来事であるが、強烈な出来事として私の脳裏に焼き付いている。

 東日本大震災の想像を絶する大きな災害が私に突きつけてきた問いかけは、「神はこの宇宙万物を造られた」「神は御子を与えるほど世を愛しておられる」「ならば、なぜ、このような悲惨な災害が起こるのか」ということであった。
 天地の創造主である神というのは、信仰宣言の冒頭に出てくる言葉である。また、神は御子を与えるほど世を愛しておられるということは、私たちの信仰上の確信である。ならば、なぜ、このような悲惨な災害が起こるのか、という問いかけは、私たちを答えようのない深淵に突き落とすのである。そのために、このような惨状とこの問いかけの前に語る言葉を失い、このホームページでは完全に沈黙してしまった。また、ミサの説教でこの大震災のことを語ることがあっても、それは自分で納得のいかない、迫力のない言葉が口から出るだけといった状態であった。

 昨年の秋、黙想会の準備で、ふとラブロックが1968年に唱えたガイア説(地球はあたかも一つの生物のよう)を思い浮かんだとき、そう、地球は生きているんだ、という思いに至った。
 地表の下には灼熱のマントルがあり、そのマントルがときには地表に吹き出し(火山)、地表を揺れ動かし(地震、津波)、地表に生息している生き物に大きな災害をもたらす。地球は生きているからくしゃみをし、背伸びもする。しかし、もし、地球が死んだ星ならば、その地表に生物は存在し得ない。地球は生きているからこそ、その上で生き物は生きていけるのである。
 いまの天文学では、地球上に生物が存在するのは、全くの偶然。「偶然」という言葉を何千個、何万個並べたよりももっと偶然であるという。

 被災者の中学生が、卒業式の答辞の中で読み上げていた「私は天を恨まず」という言葉が耳を離れない。また、多くの人が「海を恨まず、海と共に生きていく」と語る姿に、あらためて自然と共に生きる人々の強さと自然とのつながりを見る思いがする。
 私が感じた信仰上の問いかけなどは、所詮、被害を被っていない第三者の思いでしかない。被害を受けられた人々はそのような問いかけに関係なくというか、それを克服して、自然を信じ、自然と共に生きていこうとしている。
 天や海を恨まず。知性や理性ではなく、いのちで自然を受け止め、いのちで自然と共に生きようとしている。あるいは、生きて行かざるを得ない、といった方がいいのか。その強さを教えられた。それで、このホームページを再開しようと思い立った。
 私は被災者の皆さんに救われた。