農村を都会につなぐ
(2017.6.8)


 20年前、私が農村に入ったとき、どうして神父が農業を?とよく尋ねられた。いまは、どうして山の中から大阪に?と質問が飛んでくる。
 先日も、私の尊敬する司祭から「いままでの農村生活を、どうこの大阪生野につなげるんだ」と本質を突いた問いかけを受けた。

 私が農村に入ったとき、学ぶことを目的に入ったが、ただ一つ、「農村をキリスト教化することではなく、キリスト教を農村化したい」という思いを持っていた。つまり、農村にキリスト教を持ち込むのではなく、キリスト教に農村を持ち込みたい、という思いである。
 いま神様はその場を、日本第二の大都市、大阪にしてくださった。20年間、山村で吸い込み、飲み込んだものを、この地で吐き出していく。ちょっとキザな言い方をすれば、農村・農業生活でINPUTしたものを、大阪の地でOUTPUTしていくということである。それがどのような形でなされるのか、まだ見えてこないが、このホームページも一つのきっかけになればと思っている。
 私にとって20年の体験、経験は非常に大きく重いものがある。このままこれを腐らせてしまうのは恵みへの忘恩であり、恵みの無駄遣いである。
 76歳にして新たな人生へと踏み出した感じがする。ありがたい恵みである。
                                              神に感謝。