第二章 創造の福音

W 被造物のメッセージ

84ー88


84.被造物固有の目的
 被造物それぞれが、固有の目的を持っている。
 全物質界は、神の愛、わたしたちへの神の限りない愛の思いを語っています。

85.被造界の観想
 神は、「宇宙の中に存在する諸々の被造物を文字とする」貴重な書物を著してくださいました。
 被造界の観想は、神がわたしたちに届けようとお望みになる教えを、一つ一つのものの中に発見させてくれます。
 「私は、世界の聖性を解読することによって、私自身の聖性を探る」

86.宇宙を全体としてみる
 宇宙は一つの全体として、その多様なかかわりすべてをもって、神のくみ尽くしがたい豊かさを表明しています。
 一つ一つの被造物を、神の計画全体において観想する。

87.被造物の中に神を見る 

 存在するすべてのものの中に映し出される神を見る。
 アシジの聖フランシスコの「太陽の賛歌」

88.宇宙における神の現存 

 自然は一つの全体として、神を顕示しているだけではなく、神の現存の場でもある。
 いのちの霊は、あらゆる生き物の中に居られ、その霊とのかかわりへとわたしたちを招いておられます。


 つい最近まで、このようなことを言ったら異端として批判されるような文言が、この回勅の中で語られていることにびっくりする。
 それは、「自然は神を顕示しているだけではなく、神の現存の場であり、いのちの霊(聖霊)があらゆる生き物の中におられる」(88)、という箇所である。
 原文を持っていないので本文はどう書かれているのかわからないが、翻訳文が原文に忠実だとすれば、驚くべき表現である。それは一歩間違うと汎神論やアニミズムになりかねない表現だからであり、ヨーロッパの神学はその両者に対して過剰とも言えるような反応を見せるからである。

 汎神論とは、すべての存在(宇宙、世界、自然)が神であり、神はこれら一切と同一である、という立場を意味する。(宗教学事典 東京大学出版会)
 アニミズムとは、動植物その他の無生物に至るまでそれ自身の霊魂を持っており、なんらかの意味で、生きて作用しているもの、という考え方。(同)

 もちろん汎神論もアニミズムもさらにいろいろな意味があり、それを広げていくと回勅88と重なるところも出てくる。そういう意味で、回勅は思い切ったことを書いたな、という思いである。
 ただ、私にとって88で語られていることは、20年間山の中で農業をやってきた体験から得た悟りと同じであり、私の大切な宝となっている。また、私の愛読しているモルトマンの創造の神学と通じるものがあり、88はラウダート・シの中で最も私の感動するところである。