第二章 創造の福音

V 宇宙の神秘

76−83


76.「被造界」と「自然」
 「被造界」という語は、どの被造物にもそれぞれ固有の価値と意義を与える神の計画に関係しているので、「自然」よりも広い意味を持っています。
 「自然」は通常、研究と理解と制御の対象である一つのシステムと見なされている。
 「被造界」は、父からいただくたまもの、また、わたしたちを天地万物の交わりへと招く愛。

77.「みことばによって天は造られた」(詩編 33.6)
 これは世界が、一つの決断の結果として生じた事を言っている。
 神の愛が、創造されたすべてのものを動かす原動力です。
 あらゆる被造物は、父の優しさの対象です。

78.自然の非神話化
 この非神話化によって、自然に対するわたしたち人間の責任がいっそう強調されます。
 わたしたちが、自然の価値と脆弱さを、また同時に神から賜ったわたしたちの能力を認めるなら、際限のない物質的進歩という現代の神話を、ようやく捨て去ることが出来ます。

79.開かれた宇宙 

 宇宙は相互にやりとりする開放系(オープンシステム)によって形成されており、その中に無数のかかわり方やあずかり方を識別することが出来ます。このことは、全宇宙は神の超越に開かれていて、その中で全宇宙の発展がある。

80.宇宙における神の現存 

 発展を必要とする世界を創造することで、神はある意味、ご自身を制限しようとされた。
 神の現存は、それぞれの存在の生存と成長を保証するものであり、存在を授けるという働きの連続なのです。
 神の霊は宇宙を可能性で満たしているので、ものの本質そのものの深みから、何か新たなものが常に生じえます。

81.人間の独自性 

 進化の過程を前提とするにしても、人間は進化によっては十分に説明出来ない独自性をも有しています。

82.人間以外の生き物への支配 

 人間以外の生き物たちを、人間の恣意的な支配に服する単なる客体と見なすのもまた間違いです。

83.神の充満に達する宇宙 
 宇宙は、究極的に神の充満に達するよう定められており、その充満は、すべてのものの成熟の尺度である復活されたキリストによってすでに達成されています。
 人間は、すべての被造物を創造主のもとへと連れ戻すよう召されています。

 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。(ヨハネ 1.3)
 ヨハネの1章は、言(ことば)が父である神の宇宙創造の決断を受けて、父とともに宇宙を創造していったところから始まる。父と子は、造られた宇宙万物にいのち(聖霊)を吹き込んでいく。この三位一体の神による創造は、キリスト教創造論の白眉である。
 神は宇宙万物に愛であるいのちを吹き込むことによって、被造物同士はいのちの愛によって結ばれ、互いにかかわり合うもの(開放系)となった。被造物にいのちを与えられたと言うことは被造物の成長を意味し、神はご自分の全知全能の一部を被造物の分け与えるという、神の卑下(ケノーシス)が現れる。この卑下こそ神の愛そのものである。
 この宇宙万物は、神の愛といのちに満たされたものになるまで(神の充満)発展・成長するだろう。そのために、神は人間に被造物をお委ねになったのである。人間の役割と責任は重大である。