第二章 創造の福音

U 聖書が語る知恵 2

69−75


69.生き物たちはそれ自体で価値がある。
 生き物たちは「ただ存在するだけで神をたたえ、神に誉れを帰している」(カテキズム)
「わたしたちは有用であることの優位性よりも、存在することの優位性について語るべきである」(ドイツ司教団)

70.すべてのものはつながり合っている
 自分たち自身の命を真に気遣い、自然とのかかわりをも真に気遣うことは、友愛、正義、他者への誠実と不可分の関係にある。

71.救いの道ー新たに歩み始める機会
 救いへの再出発ー創造主のみ手によって自然の中に刻み込まれたリズムの回復と尊重

72.創造主である神への賛美 

 わたしたちは神の大いなる力によって存在するだけではなく、神と共に神の傍らに生きてもいます。これこそ、わたしたちが神をあがめる理由なのです。

73.宇宙を創造された全能の神の観想 

  解放し救ってくださる神は、宇宙を創造された神と同じ神であり、神のその二つの働きは密接につながっていて、分かつことはできません。

74.創造主の全能 

  無から宇宙を創造された神は、この世界に介入もなさり、あらゆる形の悪を克服されます。不正は無敵ではないのです

75.神は全能であり、創造主である 

  大地に対する絶対的支配の主張に終止符を打ち、人間をしかるべき場所に連れ戻す最善の道は、世界を創造し、その唯一の所有者である御父の姿について、今一度語り直すことです。

 この項には、ヨーロッパ思想史、及びキリスト思想史の深い傷が秘められている。それは、ギリシャに始まった精神と肉体という二元論が、キリスト教に、そして近代ヨーロッパ思想に深い影響を与え、現代に至るまで解決されることなく影響を及ぼし続けているからである。
 このギリシャの二元論は、イスラム文化を通して中世のヨーロッパにもたらされ、教会の中でスコラ哲学・神学として確立されていった。そしてそれはデカルトに引き継がれ、精神世界と物質世界に分かたれ、宗教と物質世界、宗教と科学とに分かれていった。
 キリスト教の世界でも、それは救い(救済)と創造とに分かたれ、いつのまにか救済が神の計画の中心となり、創造は救済のための舞台、救いの序曲にすぎないものにおとしめられていった。救いのための創造、救いの中の創造に過ぎなくなってしまった。あまりにも人間中心の創造観である。
 キリスト者の信仰の中でも救いだけが強調され、創造はほとんど信仰の対象から消えてしまった。創造の神、全能の神はほとんどお題目だけになってしまった。創造なき救い、救いなき創造、これが今のキリスト者の信仰である。

 もう一度、信仰の原点、神の創造に立ち戻ろう。三位一体の神の生態学的創造、つまり、かかわりつながり、である。ここに現代の地球の危機を考え、解決していく糸口がある。