第二章 創造の福音

U 聖書が語る知恵 1

65−68


65.人間と世界とのかかわり
 すべての人は(神の) 愛から創造され、神にかたどり、神に似せて造られた。(創世記 1.26参照) これは人間は「単なる物ではなく、人格」であり、「自分を知り、自分を所有し、自分を自由に与え、他の人々(被造物)と親しく交わることが出来る」一人ひとりのはかりしれない尊厳を示しています。

66.創世記の中の創造記事
 神とのかかわり、隣人とのかかわり、大地とのかかわり(の三つのかかわり)によって、人間の生が成り立っている。この三つのかかわりは引き裂かれてしまいました。この断裂が罪です。
 この罪によって、もともと調和がとれていた人間と自然とのかかわりが不調和を来すようになりました。

67.大地への支配権
 「神である主は人を取って園に置き、そこを耕し、守るようにされた」
                            (創世記 2.15)
 「耕す」は培うこと、鋤くこと、働きかけること
 「守る」は世話し、保護し、見守り、保存すること
人間と自然の間には、互恵的責任というかかわりが存在する。
 「地は主のもの」であり、「地と地にあるすべてのもの」は主に属します。

68.大地に対する責任 

 人間は、自然のおきてや地上の被造物間に存在する繊細な平衡状態を尊重しなければならない。
 聖書は、他の被造物のことを気にもかけない専制君主的な人間中心主義を正当化する根拠にはなりません。

 神である三位一体は、父と子と聖霊の永遠にして無限なかかわりの中で生きておられる。そして、神に似せて造られた人間も、神と隣人と被造物とかかわりを持つ者として造られ、神はそのような人間に被造物を任せられた。しかし、人間は罪によってそのようなかかわりを破壊してしまった。
 旧約聖書の創世記に、神は人間を創造し、祝福して仰せになった。「産めよ、増えよ、地に満ちよ、そして、地を従わせよ。、、、すべての生き物を治めよ」(創世記 1.28)とあり、これが自然破壊や地球汚染を引き起こす根拠となっている、と非難される。
 しかし、この非難には大きな見落としがある。それは、神はご自分の似姿として創造された人間に向かって支配せよ、と言われたのであって、罪を犯し、エゴイズムにまみれた人間に向かって支配を委ねられてのではない、ということである。
 この大地を委ねられた人間が罪を犯し、その資格を失っても、神は人間から大地を取り上げようとはされなかった。そればかりか、神は御独り子によって人間を救い、その救いを人間とともに被造物全体に及ぼそうとされるのである。(ロマ 8.18-30)