第六章 エコロジカルな霊性 

216−232


 この6章「エコロジカルな霊性」は、ラウダート・シの白眉とも言えるもので、ここまで地球をだめにしてしまった私たちの意識の根底にあるもの、とくにユダヤ・キリスト教の根底に横たわる思想の間違った解釈や不十分な理解に対して、教皇職にある教皇フランシスコがするどく切り込んでいる。
 創造に関する絶対唯一神的解釈、万物の霊長的人間観、グノーシス的世界観、等から、三位一体的創造、エコロジカルな世界観ヘと、深めていっている。
 このわずかな頁の中で、驚くべき創造の神学の転換を見せている。

V エコロジカルな回心

216 エコロジカルな霊性のための提案
 キリスト教の霊性の豊かな遺産には、人間性の刷新の力となり得る貴重な貢献が内包されている。
 霊であるいのちは、肉体や自然から、また世の現実から切り離されることなく、それらの間で、それらとともに、私たちを取り巻くすべてのものとの交わりの内にあるにもかかわらず、キリスト者は神が教会に授けた霊的宝を、かなららずしも生かし、豊かにしてきたわけではない。

217 エコロジカルな回心
 生態学的危機は、心からの回心への召喚状でもある。
 エコロジカルな回心は、イエス・キリストとの出会いがもたらすものを、まわりの世界とのかかわりの中で証させる。
 神の作品の保護者たれ、との召命を生きることは、徳のある生活には欠かせない。

218 被造物との健全なかかわり
 アシジの聖フランシスコの姿を思い起こすことによって、被造界との健全なかかわりが、全人格に及ぶ回心の一面であることに気づかされる。

219 共同体の回心
 社会問題は、個人の善行の積み重ねによるばかりでなく、共同体のネットワークによって対処されなければならない。
 永続的な変化をもたらすために必要なエコロジカルな回心は、また、共同体の回心でもある。

220 世界は愛に溢れた神の贈り物
 回心とは、私たちが他の被造物から切り離されているのではなく、万物の素晴らしい交わりである宇宙の中で、他のものとともに育まれるのだということを、愛を持って自覚することである。
 信仰者として、御父が存在するすべてのものと私たちを結んでくださった絆を意識しながら、外部からではなく内部から世界を見る。

221 信仰の確信
信仰の確信は、(次のようなことを含んでいる。)
 個々の被造物は、神に属する何かを映し出しており、
  わたしたちに届けられるべき何らかのメッセージを有している、
 この物質界をその身に受けたキリストは復活した後、
  存在するすべてのものをご自身の愛で包み、
  その光を持ってそれぞれの内部に入り、 
  すべてのものに対して親密な存在でおられる。 


 私たちはこの作られた世界を、イデアと物質に分けるプラトン的世界観や精神と物質に分けるデカルト以降の近代ヨーロッパ思想、あるいは善(精神)と悪(物質)に分けるグノーシスといった二元論に少なからず影響を受けてきた。霊である命を、肉体や自然から、また現実から切り離す、といった二元論から、三位一体的創造の根底をなす交わりによって、この世界を解釈し、二元論を克服していかなければならない。
 そのために私たちはエコロジカルな回心が求められている。この回心とは、万物との交わりを回復していくことである。
 220は宇宙的ないのちとの関わと内部から世界を見るという、禅的な思想を追求した西田幾多郎の思想を思わせるものがある。
 221は汎神論ではないか、といわれそうな表現ではあるが、これが交わりの三位一体的創造論と生態論的創造論の素晴らしいところである。

W 喜びと平和

222 より少ないことは、より豊かなこと
 キリスト教の霊性は、消費への執着から解放された自由を深く味わうことの出来る、予言的で観想的なライフスタイルを奨励する。
 「より少ないことは、より豊かなこと」 Less is more.
 キリスト教の霊性は、節度ある成長と、わずかなもので満たされることを提言している。

223 節制の実り
 自由にそして意識的に節制を生きるならば、節制は解放をもたらす。それは生を全うする生き方である。
 一瞬一瞬をより深く味わい、それをよりよく生きる人は、
  最も単純な物事に親しむことを学び、
  それらをどう味わうかを学び、
  それぞれの人や物事をありがたく思うとはどのようなことであるのかを体験する。

224 生態系の十全性と人間の生の十全性
 前世紀では、節制と謙虚は行為的には受け止められなかった。そのために、結局は環境上の不均衡を含めて多くの不均衡が生じてしまった。
 そのために、本来の姿の生態系やあるべき人間の生について語らなければならない。

 
integrityを十全性(完全であること、完全に備わっていること)と訳したので、意味が通じなくなってしまった。 Integrityは、生態論(エコロジー)の特徴の一つである綜合性あるいは統合性(ヨーロッパ思想は分析)を意味する。ヨーロッパ思想の実証主義や経験主義は分析の上に成り立ち、その分析による分裂や対立は弁証法的世界を生み出し、地球汚染と破壊にまで進展してしまった。
 それを克服していくためには、分析の反対、統合や綜合を目指す生態論的発想によらなければならない。

225 平和とエコロジー
 平和の意味を十分に理解することなく、適切な霊性理解はあり得ない。
 心の平和は、エコロジーや共通善を大切にすることと密接に関わっている。
 統合的(integral)エコロジーが求めるのは、
  被造界との落ち着いた調和を回復するために、時間を掛けること、
  わたしたちのライフスタイルや理想について省みること、
  わたしたちの間に住まわれ、わたしたちを包んでいる創造主を観想すること

226 心のあり方
 心のあり方
  落ち着いた注意深さをもって生活をしようとする姿勢、
  全身全霊をもって相手と向き合おうとする姿勢、
  懸命に生きるよう神からいただいた贈り物として、一瞬一瞬を受け止める姿勢。
 イエスはその姿をもって、わたしたちを浅はかで粗暴で衝撃的な消費者にする、あの病的な不安に打ち勝つ道を示してくださる。

227 食前・食後の祈り
 こうした姿勢の表れの一つは、食前食後に手を止めて、神に感謝を捧げることである。
 この祈りは
  わたしたちのいのちが、神の手の中にあることを思い起こさせ、
  被造物という贈り物への感謝の思いを強め、
  それを提供してくれる人々の労働をありがたく思い、
  困窮の極みにある人々との連帯を再確認するとき。

 わたしたちの信仰生活はそれでいいのですか、と教皇は問いかけてくる。神が創造された被造物と共に生きる、古くも新しい生き方があるのではないか、そう教皇は語りかけてくる。

X 市民的で政治的な愛

228 自然への配慮
 自然への配慮は、共生と交わりの力を伴ったライフスタイルの一部である。
 (人間を含めた大自然との)「普遍的兄弟愛」

229 確信を取り戻す
 次のような確信を取り戻さなければならない。
  わたしたちは互いを必要としている。
  他者と世界に対して、責任を共有している。
  善良で正直であることに価値がある。

230 単純な生き様
 リジューの聖テレジアの招き
  愛の小さな道の実践
  優しい言葉かけ
  ほほえみ
  平和と友情を示す機会を逃さない。

 統合的なエコロジーは、暴力や搾取や利己主義の論理と決別する、日常の飾らない言動によっても成り立っている。
 消費が肥大する世界は、同時にあらゆる形態のいのちを虐待する世界でもある。

231 愛の文明
 愛の文明とは
  相互配慮の愛、社会に向かう愛、共通善への取り組み、は愛徳の傑出した表現。
 社会に向かう愛は、真の発展への鍵である。
 このような社会への参加は、わたしたちの霊性である。それは、愛の実践であり、それ自体がわたしたちを成熟させ、聖化してくれる。

232 連帯による霊的体験
 社会は、共通善の促進と環境の保護に尽くす、数え切れないさまざまな組織によっても豊かにされる。
 地域活動を中心に、新しい社会構造が出現する。こうして地域社会は、消費主義が誘発する無関心から抜け出すことが出来る。
 こうした地域活動は、それが自己譲与の愛を示すとき、とりわけ豊かな霊的体験にもなるだろう。