第二章 創造の福音

Z イエスのまなざし

96ー100


96.創造主であり父である神
 イエスは、神は父であるという根本的な真理を強調し、その上で、神が創造主であることを取り上げる。
 神は被造物に対して、父としてかかわる。
 
97.被造物に秘められたメッセージ
 主は感動を持って自然と触れておられたので、被造物の美しさに目をとめるよう促しておられた。
 御父がお蒔きになった美をしばしば立ち止まって観想し、事物の中にある神のメッセージを感じ取っておられた。

98.被造界との全き調和に生きるイエス
 イエスは、身体や物質や世事を蔑視する哲学から遠く離れていた。
 イエスは、人間の労働を聖化し、わたしたちが成熟していくための特別な意味を、労働にお与えになった。
 「仕事の労苦を耐えることで、人間は人間のあがないのために、髪の子キリストといわば協力する」(ヨハネ・パウロ二世)

99.万物は御子によって、御子のために
 全被造界の運命は、キリストの神秘と密接に結ばれている。
 三位一体の一つのペルソナが、創造された宇宙世界に入り込み、十字架に至るまで運命をともにしてくださいました。
 世の始まりから、とりわけ受肉を通してキリストの神秘が、一つの全体としての自然界において、その(自然界)自立性を妨げることなく、隠れた仕方で働き続けています。

100.被造界に現存される復活されたイエス
 新約聖書は、普遍的な統治権をもって被造界の至る所に現存なさる、復活され栄光に輝くイエスをも示します。
 復活された方が、被造物を神秘的な仕方でご自分の方へと抱き寄せ、最終目的である充満へと目指させてくださる。
 野の花々や鳥たちには、いまや、イエスの輝かしい現存が吹き込まれているのです。


 このZ項も教皇フランシスコの被造物に対する深い霊性が見て取れる。
 神は創造主として、すべての被造物に父としてかかわっていかれる。このかかわるということこそが神が三位一体であることの姿である。
 イエスもそのような御父の在り方を生きられる。
 御父は創造主であるが、御子も創造の神である。万物は御子によって、御子のために造られたからである。
 100では、エッ!そこまで言ってしまっていいの?という、私にとっては嬉しい宣言である。野の花や鳥たちにイエスの現存が吹き込まれているという、なんとも素晴らしい言葉である。
 路傍の一本の草や花にも、イエスの現存がある。神を教会堂という小さな場所から解放する輝かしい言葉である。この山や川にも、あの太陽や月にも、そして、遠く離れた星々にもキリストの現存がある。この宇宙全体がキリストで満たされている。というより、キリストという海の中に宇宙があり、キリストという水に浸されている。