第一章 ともに暮らす家に起きていること

Y 反応の鈍さ

53−59

Z さまざまな意見

60−61


Y 反応の鈍さ

53.危機に立ち向かう文化
 わたしたちは神の道具となるよう呼ばれている。しかし、この危機に立ち向かうために必要とされる文化を、わたしたちはいまだ有していない。

54.反応の鈍さ
 国際政治における反応の鈍さは注目に値します。
 サミットの不成功は、環境に関する世界政治がテクノロジーと金融とに屈服していることを明らかにします。

55.不十分な消費習慣の転換
 一部の国や民衆のエコロジカルな意識は高まりつつあるが、有害な消費習慣の転換に至るには十分でなく、消費は減少するよりはむしろ拡大しているように見えます。

56.自然環境は市場利益の前には無防備
 環境の悪化と、人間とその倫理の退廃とが密接に関わっている。限りがあり、終わりがある世界という現実に気づく勇気が、娯楽によって絶えず奪われています。

57.資源枯渇と戦争
 資源の枯渇は、都合のよい筋書の下、新たな戦争を引き起こす。

58.環境改善の好事例
 人間が積極的に介入できる余地は沢山ある。

59.誤ったエコロジー
 自己満足とのんきな無責任さを助長する、見せかけだけで表面的なエコロジーが広がりつつあります。
 見ないでおこう、認めないでおこう、重要な決断を先延ばしにしよう、なかったことにしよう。

 生産と消費が最優先される産業構造において、環境や自然の汚染と破壊はやっかいな問題である。アメリカ大統領トランプ氏は産業を優先し、京都議定書から離脱していった。アメリカのみならず、全世界的に見ても地球保護の動きは緩慢に見える。やはり政治家にとって人々の暮らしを最優先せざるを得ないからである。なにをどう変えれば良いのか、わたしたちにはその文化がない、と教皇は言う。


Z さまざまな意見

60.解決に向けて、両極端な意見。

   ・倫理的な配慮も、根本的な変革もなしに進歩神話をかたくなに主張し、技術的応用によって解決される。
   ・人的介入はすべて脅威であり、地球生態系には害でしかないのだから、地球上の人間の数を減らし、人的介入はすべて禁じる。
 この両極端の間で、将来に向けての実行可能なシナリオを描かなければなりません。

61.教会の姿勢
 具体的な多くの議論に、教会は見解を提示する資格を有してはいません。
 「地球の諸地域を眺め渡せば、人間が神の期待を裏切ってきたことにすぐにきづかされます」(ヨハネ・パウロ2世)
 

 この問題の解決に関してはさまざまな考えがある。
 あくまでも科学的解決を至上とする考えがあるかと思えば、地球への干渉を止めるべきと言う自然至上主義もある。残念ながら教会はそれに対する応えをまだ持っていない。
 しかし、地球の状況は危機的である。