フランシスコとクリスマス
(2017.12.19) 


 フランシスコにとってキリストの降誕祭(クリスマス)は、特別な思いがあった。彼は降誕祭を「神がいとも小さな幼子となられ、人間の胸に抱かれたのだから」「祝日中の祝日」と言い、貧しく生きていた彼もこの日ばかりは人間ばかりでなく、壁にラードを塗り(壁にまでごちそうを!)、牛やロバにはいつもの倍のえさをやり、空を飛ぶ小鳥には道に穀物を撒いてほしい、と語っている。(チェラノのトマス 第二伝記、第2巻第151章)
 フランシスコの帰天3年前、1223年12月24日、アシジとローマの中間点にあるグレッチオの山中の洞穴に、ベトレヘムの幼子誕生の場面を模して、家畜にえさをやるための木をくりぬいて作った飼い葉桶とロバと牛を配し、そばの岩を祭壇として村人と共にクリスマスミサが捧げられた。
 それは「私は、ベツレヘムでお生まれになった幼子を思い起こすとともに、このいたいけない幼子の居心地の悪さ、どのように飼い葉桶に寝かされ、どのように牛とロバがいる干し草の上に横たえられていてかを、この肉眼をもってできうる限り見極めてみたい」ためであった。(チェラノのトマス 第一伝記 第1巻第30章)

 フランシスコの思いは、ただひたすらに福音書に従ってキリストのように生きたい、ということであり、そのために、キリストをもっと具体的に感じたかったのである。キリストのように貧しく、キリストのように愛にあふれ、キリストのように神の子どもとして、父である神が創造されたものを愛し慈しもうとした。この思いが凝縮されていったのがグレッチオの降誕祭である。
 フランシスコの一生を一言で言うなら、それはクリスマススピリット(クリスマスの心)ではないかと思う。クリスマスの心とは、ヨハネ福音書のあの箇所である。
 「言(ことば)は肉となって、私たちの間に宿られた」(ヨハネ 1章14節)
 この「言は肉となって」という箇所は、キリスト教の教えの中でも現代人に説明するのが非常に難しい受肉の神秘といわれているものであるが、平たく言うと、「神は人間となって、私たちの中で生活された」ということである。神は抽象的な存在ではなく、また、私たち人間から遠く離れたところにいるのでもなく、具体的に私たちのすぐそばにおられるお方である。
 また、ヨハネは言う。
 「万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ 1.3)
 宇宙万物は言葉、すなわち、神の御子によって創られたのである。その御子は人となってイエスと名付けられた。つまり、この宇宙はイエスによって創られたと言える。そして、御父と御子は創造されたものに聖霊をつまり命を吹き込んでいく。
 フランシスコは神によって造られたものに対し、深い愛をもって接していったが、この神の三位一体的創造について、第一会則24章で次のように記されている。
 「全能、至聖、至高、至上の神、、、聖なる御旨により、あなたの御独り子によって、聖霊をもって、霊的、物質的名者すべてを創造し」

 グレッチオにおけるフランシスコの神体験は、真言密教の曼荼羅に似たものを感じさせる。曼荼羅とは、弘法大師空海の曼荼羅では、宇宙を創造したと言われる大日如来を中心にすえ、その大日如来がさまざまな姿でらせん状に外に向かって現れる様を表現したものである。
 曼荼羅には二通りの見方がる。中心から外に向かってと、外から中心に向かってである。中心から外に向かってとは、天地万物の創造主である父がその御独り子を遣わし、マリアやヨセフ、羊飼いや馬や牛、羊を通してご自身を現し、わたしたちのすぐ傍に居られる。外から中心に向かってとは、馬や牛、羊、そして村人(羊飼い)からマリアとヨゼフを通してお生まれになった御子を見、その御子を通して御父に至るプロセスである。
 神から被造物へ、は哲学用語で演繹と言われ、被造物から神へ、は帰納と呼ばれる。この被造物から神というプロセスはフランシスコの大きな特徴であり、フランシスカン霊性の根幹をなすものである。
 フランシスコの人生は実に具体的なもので、重い皮膚病にかかった人を抱き接吻することから始まり、司教の前で着ている衣服を脱ぎ父親の前に放り、荒れ果てた小聖堂を建て直し、金銭と所有物を放棄し、貧しく生き、兄弟を愛し、スルタンに宣教に生き、グレッチオで降誕祭を祝い、イエスの十字架上の傷を身に受け(聖痕)、と一人一人を、一つ一つをこよなく慈しみ、愛し、それによって神を賛美し、神に感謝し、神を愛していった。
 彼の慈しみと愛はただ人間だけに留まらず、神の被造物全般にわたるものだった。
彼は眼病が重症になり、ついに盲目になり、聖痕の傷から来る痛みで身体がぼろぼろになりながらも、フランシスコは被造物すべてを兄弟姉妹と呼び、被造物と共に創造主である神をたたえようと歌った、あの有名な「太陽の賛歌」(「太陽の歌と曼荼羅」参照)を作っていく。
 
 13世紀のフランシスコの時代、すでに信仰が聖職者や修道者、王侯貴族や金持ちたちのものになり、無学で貧しい庶民は、信仰の世界からものけ者にされつつあった。信仰が特権階級化され、上品で美しい抽象的なものになっていったのも、洋の東西を問わずいつも同じである。
 フランシスコは抽象化され、特権化されていった信仰を、具体的なみんなの信仰として取り戻そうとしていった。彼は福音を忠実に生きることによって、また、グレッチオの降誕祭や聖痕印刻によってイエス・キリストを具体的に体現化し、壁の中の閉鎖的な修道院ではなく、人々と共に住むことによって人々の中に神を見いだそうとしていった。
 フランシスコは自分の修道会を、口先だけの説教者の集団や頭でっかちな学者の集団にする気はなかった。あくまでも貧しい小さなものの集団であろうとした。しかし、彼の病状の悪化から修道会の総長を辞したあと、修道会は早くもフランシスコの理想とは異なる方向へ進んでいくのである。
 
 現代も信仰の世界をみると、言葉が言葉で終わっているような状況にあると思われる。言葉が人間となって、つまり、言葉が人間の中で具体化され、目に見えるものとなっていないのである。自分の生き方に裏付けされた言葉、あるいは、大地にしっかりと足を着けた言葉は人を感動させる力を持っている。頭だけで考え、頭からひねり出されてきた言葉は人の心を打たない。言葉は肉を取り、我々の間にとどまらなければならないのだ。
 クリスマスは言葉だけの抽象的な世界ではない。もっと具体的な、目で見、手で触れることのできる、また、心と心がふれあえる世界である。だからこそ、宗教を越えて世界中の人々が祝うのである。
フランシスコの一生は、それを私たちに教えてくれる。