なぜ、神父が農業を? 私が26年前、農業をしたいと表明したとき以来、いつもこの質問を浴びせかけられてきた。教会内はもちろんのこと、同じ修道会内からも、そして、もっとも強かったのは教会の信徒から、そして不思議なことに、カトリック信徒ではないが農業をしている市民運動仲間からである。 実は、それほどまでに神父が農業をするということは、希有な珍しいことだったのである。教会内の声は批判を込めた声であり、市民運動の仲間のは賛同のこもった問いかけの声であった。 信大グループとの出会い 私が農業に惹かれていったのは、私が小教区を司牧していた伊那市には信州大学の農学部があり、そこの卒業生で農業をしている人たちの影響が大きい。彼らはいわゆる農業後継者ではなく、伊那谷に惹かれて放棄田畑を買い、ここに住み着いてしまった人たちで、県外者がほとんどである。そのために、非常に質素な生活を送りながらも、仲間同士は仲が良く、互いに助け支え合って生きていた。この貧しさと兄弟性は私がフランシスコ会員として修道会内に探し求めていたものであるが、残念ながら修道会の中ではなく彼らの中にそれがあった。フランシスコ会の根本的な霊性である清貧と兄弟性が、農業と結び合った姿でそこにあった。これが第一の理由である。 次に彼らは農業をしながら、環境汚染や環境保護、反原発、人権問題や社会正義など、社会に対して驚くほどの高い意識を持ち、市民運動も盛んであったが、いつの間にか、私はそのような市民運動の精神的中心にさせられてしまった。 フィリッピンからの出稼ぎ女性がじゃぱゆきさんと言われ、悲惨な状況下に置かれていた今から40年近い前のことであるが、長野県で初めての出稼ぎ労働者を支援する市民運動を立ち上げたときも、ともに働いてくれたのが彼ら農業者であり、信州大学にあったアムネスティの学生たちだった。彼らは実に私にとって大きな力と支えとなってくれた。 信大の学生たちとは私が引率して、フィリッピン・ネグロス島の山中の農村に3年も訪れている。ネグロス島ではまだ、新人民軍と政府軍がドンパチやっているときで、ネグロス北部のサトウキビ農園の労働者が飢餓状態になっていたあのときである。 このように、農業者たちとの深い関わりによって、私の中に農業との深いつながりが深まっていったのだろうと思う。それにしても、若者の農業離れが進み、後継者不足で離農する農家が少なくない現在、なぜ農家の後継者でもない彼らが、決して豊かとはいえない、というより貧しい生き方を選んでまで農業をするのか。 大自然に抱かれて生きることの素晴らしさを知ってしまった者にとって、生活の豊かさはそれほど大きな意味を持たなくなるのだろう。 大鹿グループとの出会い もう一つ信大グループとは違うグループとの関わりも、私に大きな影響を与えてくれた。 それは元ヒッピーだった人たちが20軒ほど、山奥の廃屋となった家を買い取り、そこに住み着いて農業をしていた。そこには米国でアメリカインディアンと4年ほど共に住んだという人がいて、そこにインディアンの祈祷所とも言うべき八角形の小屋を建て、アメリカインディアンが日本に来るとまずこの場所で祈りを捧げる、というアメリカインディアンにとって日本における聖なる場所であった。私も何度かその建物に泊めてもらったことがある。このグループにはカトリックミッション校の札幌藤女子大学の卒業生がいて、彼女を通してそこのグループの人たちと親しくなった。 彼らも信大グループ以上に貧しく、グループメンバー同士のつながりはすばらしいものがあった。 信大グループも元ヒッピーグループも、農業は頑固なほどに無農薬・有機栽培にこだわっている。中には自然農法を取り入れている人もいた。地球に優しい、環境を守る農業は、仲間同士支え合ってこそ楽しいものになる。それを目の当たりにした。 私が農村に入った動機 私が農村に入り、20年も田畑を耕したのは、多くの人が農業に入っていく自然主義的な思いとは違うものがある。つきつめて言えば、宗教的動機とでも言うしかない。これは私の百姓仲間にも理解してもらえなかったし、カトリック教会内でも、残念ながらほとんど理解されなかった。 その動機とは、「神が創造されたものを通して、神を体験する」ということであり、「農村をキリスト教化することではなく、キリスト教を農村化する」ということである。 頭だけの、言葉だけの信仰理解に、いささか疲れた、ということだった。首から下は信仰と関係がなかった。つまり、精神と物質、魂と肉体というギリシャ以来のヨーロッパ的二元論、その中核をなすキリスト教的二元論にどうしてもなじめなかった。農をすることによって、私の中にあるキリスト教を農村化したかったのである。 これは神学生時代(つまり、50年以上も前)に出会った良寛と道元、それに西田幾多郎の影響が大きい。彼らの世界観は、私が農村に入り、農に生きようと思った大きな動機でもある。今はまだ、それを文字にできるほど私の中で熟成されていないが、それを是非、文字でまとめてみたいと思っている。 ー 目次に戻る ー |