農を生きるとは 農を生きる、とは農業を生業(なりわい=生きていくための仕事)としているわけではないので、農という言葉を使っている。修道会という支えがあるので、贅沢はできないが、食うに困らない。農業仲間からいつも冷やかされるのは、「伊藤さんはいいよな、食うに困らないんだから」ということであった。確かに食うに困らない。食うだけだったら、農をする必要はない。ではなぜ、農をするのか。趣味か、格好付けか、遊びか。 初代教会時代の修道者は、もちろん自分たちの食糧を確保するためだった。しかし、それでも農は神の恵みを体験する場として必要なものだ。また、創世記一章にあるように、罪を犯したことによって土を耕さなければならなくなった人類が、キリストの十字架によって再び、土を耕すことによって神の似姿に帰ることができるようになった。そして、土を耕すことは、神のご命令である地を支配するために必要なことであった。 それでは私は何のために農をしようとしたのであろうか。 それは今も引きずっていることであるが、神に触れたかった、神を感じたかったからである。生物の命に触れ、命を感じることによって神の命に触れたかった。これは多分にフランシスコ的で道元的な霊性である。これについては別のところで述べる。 稲を育てる 私は一反3畝の田んぼで、早生の「あきたこまち」を栽培した。南信州で標高600m以上のところでは「あきたこまち」が推奨され、それ以下のところでは「コシヒカリ」が圧倒的だった。そのほか、収穫量の多い「秋晴れ」なども栽培されていた。 私の田んぼでは化学肥料を一切使わず、有機肥料のみである。乾燥鶏糞、牛豚堆肥、菜種油かす、米ぬかなどである。そして、田んぼに注がれる山の水が、ミネラルを運んできてくれる。 標高700mを越えるこの地は日中と夜の温度差が大きく、甘みの乗った味の良い米や野菜がとれる。そのためか、私の米を食べた新潟県長岡市の方から、魚沼産コシヒカリよりおいしい、とお褒めの言葉をいただいた。(魚沼は新潟大地震の後、長岡市に編入された。) これには私の方がびっくりしたが、怪我の功名的な成果である。無農薬・有機栽培では、まず除草剤を使わないので田んぼ一面にコナギやオモダカ、クログアイといった水草がびっしりと生え出る。それを手押し車で除草するのだが、あまり効果が出ない。最後は手で取るしかない。一日3〜4時間、カンカン日照りの中、かがんで手で水草を取るのである。全部取り終わるのに一週間ほどかかる。これを二度はしなければならない。ふしぎなことに腰が痛くならない。これはその土地のじいさま方からも不思議がられた。 田んぼの水草にはほとほと手を焼いたが、思わぬ恵みをもたらしてもくれた。それは水草のために稲が密集できず、稲と稲の間に隙間ができ、そのために風の通りが良く、太陽の光が根元まで届くことである。そのために稲が蒸れることなく、太陽の光をいっぱいに浴びて育ち、味の良い米となった、というわけである。有機肥料と雑草のおかげで、おいしいお米ができたのである。 このあたりの農家では一反で9〜10俵(1俵は60kg)の米がとれるが、無農薬・有機栽培ではその70〜80%だといわれているので、まあ7俵がいいところだ。全体で8俵ぐらいはとれていた。私一人で一年でお客さんの分を入れても2俵もあれば十分である。後は希望者に配布し、最後に残る1俵は和歌山の炊き出しに寄付した。 野菜を育てる 一反弱の畑では、30種を超える野菜を栽培した。ほとんどが自家用と教会で販売、知人に配布である。畑でももちろん無農薬・有機栽培である。ここでも自慢話。家の前の畑で採れたトマトを近所の奥さんに分けたところ、伊藤さんのトマトはおいしい、と絶賛。この評価が土地の人たちに広がり、結構な評判となった。これも肥料のおかげである。 10年以上、大豆を植え、その大豆で味噌を仕込んでいた。無農薬・有機栽培の味噌である。大豆を一晩、水に浸け、茹でて手回しの味噌専用の機械に入れて砕き、塩と麹を混ぜてビニールの袋を敷いたプラスティックの桶に入れ(このとき空気を入れないように、大豆を丸めて打ち付けるように入れる)、空気に触れないように上部をビニールでぴったりと密閉する。1年たつと薄黄色のいわゆるあっさりした味の一年味噌、二年目になると赤茶けた二年味噌、三年目になると色も赤黒くなってきて、コクのある三年味噌、赤味噌となる。手前味噌とはよく言ったもので、自分の造った味噌は最高の味がする。 ある日の夕方。母屋の隣に建っていた二階建ての納屋が、大音響とともに崩れ落ちてしまった。古い建物で、土台が腐っていたのだろう。この納屋には一年味噌から5年味噌までの味噌樽がいくつも置いてあった。もし、味噌を取りに行ってこの崩壊にあったとしたら、おそらく納屋の下敷きになっていただろう。少々、ぞっとする話である。それ以来、味噌造りはやめてしまった。 農の基礎は土作り 農業とはつくづく不思議な世界だ、と思う。 土に種を蒔く。芽が出て、伸びて葉をつけ、花を咲かせて実をつける。穀物や果菜がそう。店頭で売られている野菜にはそのほか葉菜や根菜がある。スーパーに行くと、野菜や果物の種類の多いことと豊かさに驚かされる。農業を実際に生きてみて、種子の選択や栽培方法、肥料のこと、虫や鳥獣がからの防除、雑草対策など多岐にわたる知識と経験が必要とされる。しかしここでつい忘れがちになる大切な事柄がある。それは土作りである。 土作りとは植物の3栄養素と言われる窒素、リン、カリを作物に応じてバランス良く配分することであるが、それをうまいことやってくれるのが土中の細菌や虫たちである。バケツ一杯の土の中に、地球上の人間の数(60億)より多い数の細菌がいるという。その代表的な細菌がバクテリアである。(細菌をラテン語でバクテリアという) 農業を突き詰めていけば、この細菌との関わりである。動植物の死骸が腐食して土壌を造っていくが、地球の大地のわずか2mほどの表層でしかない。土壌のバクテリアのような細菌やミミズや虫の幼虫などは動植物の死骸を食べ、その糞で土壌ができていく。地球の長い歴史(約40億年)からみると、土壌ができるには気が遠くなるような長い年月が必要なのである。 細菌は土壌を作るだけではなく、生きとし生けるものの体内に入り、共に生かし合っている。つまり、共生しているのである。植物では、まず水と大気中の二酸化炭素を、葉の葉緑素という触媒の中で、太陽光をエネルギーとしてデンプンを作るが、その働きを担っているのが細菌である。また、土中の細菌は窒素を固定し、根に張り付いた細菌は根が土壌の中から窒素・リン・カリなどの栄養素とともにさまざまなミネラルを水とともに吸収するよう働いている。その代わり、細菌は根から細菌の餌となる栄養をもらう。 畑や田んぼにまく肥料は、本来はこの細菌の餌となるものである。動物の糞や草や木の葉を発酵させた堆肥、魚や菜種の油かす、米ぬかなど、作物に必要な3栄養素を豊富に含んでいるが、それ以上に細菌や虫たちの大好物でもある。これらは有機肥料と言われている。 これに反して、化学肥料とも言われる無機肥料は、空気中の窒素を固定化した窒素肥料、鳥の糞が化石化したリン、カリ鉱石からのカリ(カリウム)など、化学的に処理した肥料である。リン鉱石やカリ鉱石は日本にはないので外国からの輸入である。この化学肥料は、作物の栄養にはなるが、バクテリアなどの細菌やミミズなどの栄養にはならない。そのため、化学肥料だけでは土壌が痩せてしまう。そのために、さらに大量の化学肥料を必要とするようになる。 土壌が痩せていくもう一つの原因は、農薬である。殺虫剤や特に除草剤は、土壌のバクテリアやミミズなどの虫まで殺してしまうからである。現代農業は作物の品種改良により、ますます大量の化学肥料と農薬が必要になってきた。その結果として土地が痩せ、ますます化学肥料と農薬を必要とする悪循環に陥ってしまっている。 ー 目次に戻る ー |