写真をクリックすると拡大します 農業人生に幕 長野県下伊那郡豊丘村の標高700米の山奥に居を構え、農業の生活を始めたのが20年前(1997)。土日は教会の手伝い、朝は週二回、3ヶ所のシスターのミサを交えながらの農業生活だ。 南アルプスと中央アルプスに挟まれ、その谷間を天竜川が流れ大河となって太平洋に注ぐ。伊那谷と呼ばれる谷間の南アルプス寄りの山奥で、田んぼ3枚と畑2枚の農業を営み、中央アルプスを眺め、四季折々の大自然の美しさと豊かさに恵まれた、神の創造を身体で感じ取れる恵みに溢れた20年だった。 しかし、ご多分にもれず、ここも住民の3分の2は高齢者(私もその一人)という限界集落である。 この20年に及ぶ農業生活で、きついと思うことは度々あったが、いやだと思ったことは一度もない。なぜか農業はわたしの性に合っていた。しかし、55歳で始めた農業生活も70歳を超えた頃から体力の衰えを感じ、昨年75歳(後期高齢者)を迎え、農業はこれ以上は無理という体力の限界と気力の衰退を感じた。田んぼと畑、それに家事一切を一人で、という生き方にはいつか終わりが来るだろうと覚悟はしていたが、それが現実のものとなり、いいようのない寂しさに襲われた。 (写真の家は我が家) 農村の生活 この手と足で大地に触れたい。生あるものといのちを共有したい。この大自然の懐に抱かれていきたい。との思いでこの大自然の中に入り、大自然は私の願いを温かく受け入れてくれた。 しかし、大自然は厳しさも兼ね備えている。農業に関して全くの素人である私にとって、大自然はそうそう甘やかしてはくれない。私が借りた田んぼも畑も放棄地で、草ぼうぼうの荒れ地。それを8馬力の耕運機で田んぼにし、畑にしていった。すさまじい重労働である。疲れ切った身体で家に帰り、風呂を入れ食事を作るといった毎日。食事の途中で寝込んでしまうこともしばしばだった。 また、築100年を優に超えるあばら屋の冬は厳しく、4面障子という居間でこたつにくるまって冬をやり過ごす毎年であった。 山に入って5年目、3月の末に畑で野焼きをしていたときのこと、火が山側に燃え広がり、それを消そうとした私が大やけどをしてしまった。近所で見ていた人がすぐ消防署に連絡し、消防署員が私を見てすぐ救急車を呼び、火はすぐ消し止められたが、私は一ヶ月半の入院を余儀なくされた。そのため、その年は田んぼを休まざるを得なく、稲のない田んぼの草刈をするだけという日々が続いた。 集落の人々は、これで伊藤さんもこの地区から去って行くだろうと思っていたらしいが、居座って農業を続けるのを見て私が本気なのがわかり、それから地区の人も私を本気で受け入れてくれるようになった、という怪我の功名が付く。 この地区の人たちや村の人は、私がやけどをしたとき、テレビのニュースで私がカトリックの神父であることが報じられ、皆私が神父であることは知っている。それにしても、村長が病院に見舞いに来てくれたのにはびっくりした。 この地域での20年間で、隣組組長−4回、衛生係(ゴミ係)−4年、老人会役員−4年、地域の会計−4年、葬儀委員長−2回など、けっこう地域に貢献できたと思っている。しかし、結(ゆい)といわれる地区の共同作業は日曜日の午前中に行われることが多く、私が日曜日は教会の務めがある、ということでその結は免除してくれたが、日曜日に行われるいろいろな行事(運動会や老人会など)への参 加は難しく、悔いが残るところである。それでも地区の人々はそのような私を受け入れ、皆と同じように扱ってくれたことに深く感謝している。 余計なことかもしれないが、年末には神社の清掃(教会の掃除なんかしたことがない)、しめ縄作り、御幣作り、などの仕事が順番で回ってくるし、また、会計の時は、新年の神事の準備として、神前へのお供え物の準備と神主さんへのお礼や車代を包むという務めがある。皆から「伊藤さんもいろんな神様に仕えなきゃならないから大変だねえ〜」と冷やかされながらその務めを果たしてきた。おかげで、神主さんとすっかり親しくなったけど。 この地区に貢献できたかなと思われるものがもう一つある。それは亡霊からの解放である。 私が借りた家は、一人住まいのおじいちゃんの様子を見に来た近所の人が、風呂場で死んでいたおじいちゃんを見つけ、それからこの家はお化け屋敷となって10年近く荒れ放題だった。また、借りた田んぼは、持ち主のおじいちゃんが田んぼで耕運機の下敷きになって死亡し、それからこの田んぼは借り手がなく荒れ放題、放棄田というわけである。 荒れ放題のお化け屋敷とその周囲が整備され、夜には電気が付く。また、いわく付きの田んぼも、たわわに稲が実る美田となった。亡霊から開放された家と田んぼ。この地域の雰囲気がガラッと変わったと言われた。これも福音宣教の一つかな、と一人悦に入っている。(どういうわけか、この家に一人で20年間住んでいて、怖いと思ったことは一度もない) 農村生活で学んだこと 神父がなんで農業を?とよく聞かれる。実はこういう問いかけが一番困る。というのは、農村に入り、農業生活を送るようになったのはそこで学びたいからである。なにか特別な宣教布教の目的を持っていたわけではない。そのために、ずいぶんと誤解や非難を受けた。 農村や農業は私にとって全くの未知の世界。農村共同体が残っているところ、との思いからその山奥の地になった。 学ぶということは、いままでの教え、導くといった生き方(教導職)を180度転換することを意味し、大自然や農村、農業、そして農民達に教えられ、導かれることである。私はこれをイエスの30年間になぞらえ、沈黙の宣教、学ぶ宣教、受肉の宣教といっていた。 それにしても田んぼや畑に関して、まわりのじいさま達は実に懇切丁寧に教えてくれた。ただ、私は無農薬・有機栽培を貫こうと思っていたので、これにはかなりじいさま達から反対されたが、しかし、20年間それを貫いたので、最後にはじいさま達からお褒めの言葉をいただくこととなった。 自慢ついでにもう一つ自慢。米どころ、新潟長岡(魚沼に近い)の人から、私の米は魚沼産コシヒカリよりうまい、とお褒めの言葉をもらったことがある。 「学ぶ」ということは、今のこの時を、此処で、自分を生きる、ということである。禅で言うところ の「即今・当処・自己」、カウンセリングで言う「Here and Now」である。学ぶためには五感や精神、私のすべてを対象に向けていかなければならない。農業は身体を使う職業なので、頭だけではなく身体全体で学ぶことになる。いままでとは違う世界が広がった思いがした。それは私のいのちと大地のいのち、大自然のいのちとの交わりの世界である。 ここでの体験を通して頭だけの信仰から心で感じる信仰、あるいはもっと身体で感じる信仰へと変えられていったことは大きな喜びであった。長年探し求めていたものがここにあった、という思いである。(かかしは東京のかかしボランティアの作) 神学的に大きな影響を受けたのは、プロテスタントの神学者、J モルトマンの組織神学全6巻との出会いである。その中でエコロジカル三位一体論、エコロジカルキリスト論、いのちの聖霊論は私の生活から来る体験と重なり、嬉しくてむさぼり読んだものである。長野市のフランシスコ会修道院にはフランシスコ会アントニオ大神学校の校長で、教父学が専門の小高師がいて、彼からいろいろ指導を受けることができたのも幸いであった。 この地での最後の年になって、今までの20年間を総括しなければと考えていたとき、思いがけなくいろいろな出会いがあった。その一つは、長野県泰阜村の女子カルメル会のシスターのところで、20世紀最後に列聖されたカルメル会のエディット・シュタイン(ユダヤ人哲学者、後に女子カルメル会に入会、アウシュビッツで死去)を通して、フッサールの現象学に再び出会ったことである。この20年間は、フッサールの言う(抽象的で頭だけの思弁から)「事象そのものに帰れ」、つまり、今、此処で、現実に具体的に体験しているものに戻り、そこから始める、という生き方ではなかったかと気づかされた。ただフッサールの言うエポケー(先入観や経験体験を排して白紙の状態で)は農業では無理。これはあくまでも思考の世界だ。 大地を耕し、種を蒔き、雑草と闘い、収穫していく、それは具体的な体験そのものである。その中で見えてきたものは、この宇宙万物を、この大自然を、そして、人間を創造された神であり、その神の霊が生きとし生けるものにいのちを与え、生かしておられる、ということだった。この神のいのちは進化という形をとったり、生きとし生けるもののいのちの形をとったり、愛という形をとったりする。これは頭の中で思う・考えるという抽象的なものではなく、実際に神のいのちを「体験する」という具体的なものだった。 最後の5年間は宇宙物理学と量子物理学にのめり込んでいった。マクロとミクロの世界。神の創造の壮大さと創造の緻密さに、そして、その中のいのちの感嘆すべき位置に深い感動を覚えたからである。 私たちはヨーロッパ思想の中で、信仰から神の創造を排除し、キリスト教はいつのまにか救いと天国を待ち望むだけの宗教になってしまった。ある神学者の言うように、イエス・キリストは人間の失敗の尻拭いをさせられただけの神となってしまった。 しかし、ヨハネは「言葉によって万物は成った」(ヨハネ1.3)と詠い、パウロは「万物は御子によって、御子のために造られた」(コロサイ1.16)と叫けぶ。イエスに創造の神の輝きを取り戻し、路傍の一本の草や花に、イエスの創造のいのちと愛を感じていきたい。 観想とは「今、此処で、神とともにある」ことを生きることではないか。これは私にとって学説や理論ではなく、実際の生き様を通して得ることのできた大きな収穫であり、この20年の要約となるものである。 ー 目次に戻る ー |