新緑のいのち
鶴見花博記念公園にて
(2018.
5.24)
私たちはしばしば疲れたり、ストレスがたまったり、やる気を失ったり、あるいは絶望したり、失望したりする。時には、病気になったり、怪我したり、大病を患ったりもする。そのような時、いつも耳に響いてくるのが、「労苦し、重荷を負っているものはみな、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしの心は柔和で、謙遜であるから、わたしの軛を受け入れ、わたしに学びなさい。そうすれば、あなた方は魂の安らぎを見出す。」(マタイ 11.28−29)とのイエスのお言葉である。
その休みや安らぎを求めて聖堂に行ったり聖書を読んだり、祈ったりする。でもふと、キリストはここにしか居られないのだろうか、と思う時がある。
宇宙万物は神の"ことば"によって創造された。(ヨハネ 1.2)その"ことば"は神でありながら神であろうとせず、人間となって我々の間に住まわれた。その名をイエスという。
この宇宙も、この大自然もイエスによって造られたのなら、イエスのあの言葉は、この大自然の言葉にもなるはずである。創造の神、イエスのこころをそっくり受け継いでいるからである。
実際に、人類はこの大自然からどれほどの恵みをいただき、どれほど癒やされ、慰められ、力づけられてきたことか。私たちの衣食住はもとより、私たちが服用している薬の多くは植物由来のものである。植物からその効用のヒントを得、それを科学的に製剤したものが多いと聞く。山や川や野原で、また海で日常の疲れやストレスを解消し、明日への新たな力を得ていく。
実は、今回の前立腺ガン全摘術と入院を通して、年齢に比して自分の生命力の強さ(治癒力)に我ながらびっくりし、この強さの秘密は森のいのちにあるのではないかと、森が持っているいのちの不思議に改めて思いが至った次第である。
ロボット腹腔手術の驚くべき技術のおかげはあるだろうが、6時間半に及ぶ手術の翌日に、個室から自分の部屋に歩いて帰ったり、点滴が終わってから一度も痛み止めの薬を要求しなかったりと、けっこう、自分の身体の生命力というか、いのちの治癒力に驚いている。
森や山の木々からいのちの力をもらっている。もちろん、これは変な宗教がかった、オカルトのようなものではない。しっかりとした科学的根拠がある。アメリカのあるジャーナリストが、山や森にどのような癒やしの力があるのか、実際に山や森の中で研究し、データーを集めている大学や研究機関を訪れ、そこでの体験の報告書(Nature Fix フローレンス・ウィリアムズ著 栗木さつき訳)を出しているが、それによると、自然の中で15分過ごせば、
血圧とストレスが低下し、気分が良くなり、45分過ごせば、認知機能や活力・熟考する力が増し、3日間過ごすと創造性が50%向上するという、驚くべき結果が見られたと言っている。
この大自然がもっているいのちやその力については、さまざまな誤解や偏見に満ちている。迷信、俗信、未開の人々の低俗な信仰、と散々である。 啓蒙思想や科学文明に毒された人々にとって、自然はそれほど低次元の世界なのだろうか。
神を見失うと共に神に創造されたこの大自然をも見失い、
今やこの大自然は人間の奴隷状態である。地球破壊、環境汚染は目を覆わんばかりである。
手術(5月9日)の前、3日、鶴見花博記念公園に新緑が持ついのちに触れたくて出かけていった。鮮やかな、そして、目に滲みるような新緑。木々のいのちがわたしを包み込んでくるような、圧倒的な力に満たされた。木のいのち、聖霊のいのちのシャワーをたっぷり浴びてきた。木のいのちがわたしのいのちに触れ、わたしのいのちに力と生気を与えてくれる。
手術を通して体感出来た森のいのちの力。これは体験であり、説明は難しい。しかし、これも思い込みではなく、事実として説明出来る日もそう遠いことではないだろう。
写真の新緑を見るだけで癒やされるかどうかはわからないが、それでも何か落ち着くものがある。少しでもストレス解消になれば幸いである。