北陸は数十年ぶりという大雪に見舞われているのに、大阪には雪が降らない。太平洋からの風が雪雲を北へ押しやっているのである。冬には雪があるところに長年住んでいたので、雪のない冬は何か物足りなく、寂しい感じである。
大雪に見舞われている所では大変な目に遭っているというのに、不謹慎かもしれないが、無性に雪が見たくなった。それで、雪を見に行くことにした。雪の葛城山である。
山上は期待どうりの雪。葛城山は995mの山であるが、それでもスパッツと軽アイゼン、ストックという雪の低山でも最低の装備は必要である。自然研究路を歩く。月曜日ということもあって、朝一番のロープウエーは私ひとり。もちろん、山道は誰もいない。この研究路は初めて歩くので、ふと不安がよぎるが、ありがたいことに前日は日曜日で登山者が多かったようで、雪道がかなり踏まれていて、道に迷うことはない。冬の山は、雪で道がわからなくなるのが怖い。
この自然研究路は奈良県側にあり、風が山で遮られて枝に氷が付き、見事な樹氷が見られた。雪国の山よりも、こういう低山の方がきれいな樹氷になるようである。
山の樹木は一年を通して美しく装う。春の新緑、秋の紅葉、そして、冬の樹氷である。樹氷には、いのちの寝静まった美しさがある。
雪は音を吸い込むので、雪の山はあくまでも静かである。
良寛に次のような歌がある。
淡(あわ)雪の中に顕(た)ちたる三千大千世界(みちほおち)
またその中に沫(あわ)雪ぞ降る
三千大千世界とは、須弥山(しゅみせん−一世界の中心をなす高山)を中心とした世界が小世界、その千倍が小千世界、その千倍が中千世界、その千倍が大千世界で、この小・中・大の三種を合わせたものをいう。現代の用語でいうと宇宙である。
これは吉野秀雄氏の註によると、淡雪の降る中に宇宙があり(顕(あら)われ)、その宇宙の中に沫雪が降る、という主観対客観、心対物、人間対自然の微妙甚深な相関を暗示象徴している、という。
つまり、消えやすい淡雪の世界という宇宙に、一粒一粒が小宇宙の沫雪が降ってくる。この広大無辺の大宇宙の中に雪景色という宇宙があり、その中に雪という小宇宙が降ってくる。そして、それを私という小宇宙が眺めている。すぐ消えてなくなるようなあわ雪の中にも、宇宙はある。大きな世界観、というか、深い世界観、宇宙観。
私は雪を見るたびに、いつもこの歌を思い出す。雨が降る時も、宇宙の中に雨という小宇宙が降り、森の宇宙の中に小宇宙の木々が生えている。大自然の中で、私もこの大宇宙の中に存在している小宇宙であることを思う。
この宇宙を創造されたのは神であり、この宇宙にいのちを与えているのも神である。わたしたちはこの神のいのちの中で生かされている。
これは金剛山の樹氷
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