花  はざ  − 農村の高齢化を思う



 長野県南部(南信州ー南信)豊丘村の山中に、私の住んでいる佐原地区がある。この佐原地区は上佐原と下佐原に分かれているが、上佐原の中心的なところにバス停の広場とこの花畑がある。私はそこから歩いて2,3分のところに住んでいる。
 この花畑は、県道沿いにあり、県の助成金で佐原長生会(老人の会)が維持管理をしている。
 奥に見えるはざの内、青いはざシートが架けられている下から3本が私のはざで、右のはざの後ろにもう一本あるが、隠れて見えない。計4本が今年の私の収穫である。左の下から2本目の短いのはもち米(もちひかり)である。

 佐原地区には230人ほどの住民がおり、その68%が六十五歳以上の高齢者である。つまり、3人に2人は高齢者の集落である。近年、このような集落を限界集落と呼んでいるようであるが、あまり気持ちのよい言葉ではない。確かに、数字から見れば限界集落かもしれないが、実際にはそれほど悲観的な状況ではないし、まだまだ活気はある。

 今年の初め、月に一度の上佐原常会で、私は今年いっぱいで農業を辞め、来年3月には転勤異動があるだろうと発表した。七十五歳という年齢からくる体力の衰えが理由である。
 いま日本の各地の農村で、農業後継者の不足や農業者の高齢化が言われて久しいものがある。 この地も例外ではない。農村は見捨てられ、荒廃していくのだろうか。来年、私が世話をしていた3枚の田んぼはどうなるのだろう。あのはざのあるあたりは荒れ果てて草ぼうぼうになるのだろうか。
  放棄された田畑は荒れ果てていく。土地の人はそれを「原野に戻す」と言う。先祖たちは山林や石ころだらけの条件の過酷な山間地を開墾して田んぼとし、稲を育ててきた。皆この田んぼで稲作りをし、そこからとれる米に養われてきた。この田んぼに誰よりも愛着がある。だから、その長く苦しい歴史を秘めた田んぼを放棄するのではない、元の姿、原野に戻すのだ、この大自然にお返しするのだ、という田んぼへの感謝とある意味の無念さを込めた言い方であろう。

 私がこの3枚の田んぼを20年前に借りたとき、すでに田んぼは原野に戻りつつあった。それをこの20年間、美田とまでは行かないまでもそれなりの稲を育ててきた。これからこの田んぼがどうなるのかはわからないが、原野に戻っていく一端を自分が担っていることに心苦しさを感じずにはいられない。
 しかし、それはここに住んでいる人たちへの失礼な言い方ではないか。おそらく、ここに住んでいる次世代の人たちは、知恵を出し合ってこの地を荒廃しないよう、なんとかしていくだろう。この地を愛する人々だから。

 この花畑は、ただ環境美化だけのためではない。この地区の田んぼを開墾し、守り育ててきた先祖や自分たちへの手向けの花のように思える。