昭和記念公園の紅葉

(2019.11.22)


 一昨日、立川市にある国営昭和記念公園に野鳥を見に行ってきた。いわゆるバードウオッチングである。
 この公園は昭和天皇在位50年を記念して、米軍キャンプ跡に1983年、開園されたものである。米軍キャンプ跡に天皇と、何か素直に行きたくなるような気分ではないが、バードウオッチングの本に紹介されていたので鳥と紅葉を見るために出かけたわけである。
 
 JR西立川駅を出ると、目の前が公園の西立川口で駅から数分で行け、多くの公園が駅から15分以上も歩かなければならないことを考えると、実にアクセスの良い行きやすい公園である。
 入り口の券売機で、450円、65歳以上のシニアは210円の入場券を買い、中に入る。入るとすぐそこには「水鳥の池」が広がり、渡り鳥のカモ類やがん、カワウが羽を休めている。
 上の写真は水鳥の池からさらに奥の日本庭園の池で、そこには鳥の姿は見えなかった。
 水鳥は別の項で紹介するとして、ここでは、公園の秋のたたずまい、紅葉を紹介することにする。
 樹木は大きく針葉樹、広葉樹、常緑樹の三つに分類される。
針葉樹は、から松、エゾマツ、杉など、広葉樹は檜やブナ、銀杏など紅葉する落葉樹、常緑樹は一年中葉をつけているしない榊、柊、椿などである。

 落葉樹はなぜ紅葉するのか。紅葉樹はだいたい赤か黄色に限られているが、なぜ、赤か黄色なのか。
 それは次世代にいのちをつなぐためである。葉の付け根のところには、もう来年のための若芽が準備されている。しかし、この若芽は紫外線にめっぽう弱い。そこで、葉が紫外線を吸収しやすい赤色や黄色になって、この若芽を紫外線から守るのである。
 紅葉は散りゆく前の装い、などと、我々人間は風流なことを思っているが、木々は無駄に葉を紅く染めているわけではない。人の目を楽しませるために紅葉するわけではないが、しかし、結果的に、人をこの上もなく幸せに包み込んでくれる。
 これがいのちの美しさである。生きるとは、こんなにも美しく、他者を幸せにするいのである。

 この公園は開園されてまだ30数年しかたっていないが、樹木は自然林に戻りつつあり(人工林が自然林に戻るには7、80年かかる)、鳥類も増えてきているという。人間と自然のコラボレーションである。
 開発で多くの里山や森林が消滅していったが、幸いに、各地の公園等で、人工林を自然林に戻す試みが行われ、鳥たちの楽園も戻りつつある。

 木の葉は、空気中の二酸化炭素と根から吸い上げた水とで、太陽の光をエネルギーとしてブドウ糖やデンプンを作り出す。緑の葉緑素はそのための触媒で、そこで不要になった酸素を吐き出す。
 木の幹や枝には無数の管が走っていて、それぞれの管は二本に分かれていて、一本は根からの水を通す管であり、もう一本は葉で生成したデンプンやブドウ糖を運ぶ管で、流れる方向は逆である。

  広葉樹とも言われる落葉樹は葉の数も多く、そのままでは冬の寒さに耐えられない。そのために葉を落とすのであるが、その前にしなければならない役目がある。デンプン工場の役目を果たした葉は、緑から赤や黄色に変色し、しばらくして散っていく。紅葉は役割を終えたから散っていくのではなく、役割を全うするために散っていくのである。
 散っていく、というのは正確ではない。ある時(紫外線が弱くなり、夜間の寒さが強まってくると)が来ると、樹木本体から「散れ」という指令が来る、即ち、幹からある樹液が葉の付け根に来て、葉を落としていく。つまり、お役目ご苦労さん、と放り出される。散るのではなく、散らされていくのである。
しかし、大地に放り出された落ち葉には、まだ役割が残っている。それは大地に戻り、微生物や虫、ミミズの餌となり、それらが出す糞が豊穣な土となって、樹木本体を育てていくのである。
 いのちは循環している。

 人間の世界も同じである。
 私たちが死ぬから、次の世代が生まれてくる。次の世代のために死ぬのである。そして、死ぬことによって次の世代を育てていく。
 それを教えてくれたのは、これらの紅葉である。

 人生を美しく終えたい。
 ひっそりと生を終えていく、このススキのようでもいいのではないか。