秩父三十四札所

(2019.12.13)


  毎年、8月の末に休みを取り、大自然を満喫できるところに出かけるのが、私の楽しみとなっている。今年は、私にとって空白地域になっている東北のどこかをと思い、それほど遠くない裏磐梯を考えていたが、このコロナ禍である。東京からのお客さんはあまり歓迎されないのでは、と行く気が萎えてしまった。
 ところが、GO TO トラベルが10月1日から、東京発着に対応ということで、近くの秩父に行くことにした。10月も最後の週、西武秩父駅前のビジネスホテルに3泊し、札所巡りと、かつての修験者の修行の場、黒山三滝、それに国民宿舎に泊まり、1日の休みと三峯神社で6日間の休暇である。
 神社仏閣巡りといった休みではあったが、秩父34札所のうち15ヶ所を歩き、いわゆる形式は巡礼である、とは言っても、こちらはカトリックの神父。行った先々でお札を書いてもらったが、目的は歩くこと。熊野古道の時もそうであったが、歩くことに意味がある。

 熊野古道は、黄泉の国の入口である熊野を目指す奈良時代から続く巡礼の道で、それに空海の真言密教的な即身成仏が加味されていく。いわゆる神仏習合の巡礼路で、5本の参詣道と三山(熊野本宮、新宮、那智)は世界遺産に登録されている。 
        (左の写真は、第一番札所・四萬部寺 しまぶじ)
 秩父三十四札所は鎌倉の板東三十三札所、熊野那智大社にある青岸渡寺を第一番とする西国三十三札所を合わせて日本百番観音と言われ、観音信仰に基づいた寺院で構成されている。観世音菩薩が衆生を救うために三十三の姿に身を変える、というのが三十三札所の由来である。 (秩父三十四札所は日本百番の結願寺)
熊野古道は生と死にかかわる参詣であるのに対し、観音札所は苦しみや悲しみ、不幸から救ってもらうという、どちらかというと現世利益的な巡礼である。私が熊野古道や秩父札所を歩くのは、その巡礼した人々の思いや願い、心に触れてみたいからである。秩父三十四札所は、1巡100kmほどだという。15番まで、30kmほど歩いたことになるだろうか。(写真は4番・金昌寺、ご当地グルメは「わらじカツ丼」ご飯の上に大きなカツが二枚のっている。)
 79歳という年齢に、左膝を痛めて、いまも月に二度、膝にヒアルロン酸を注射してもらっているが、不思議に膝は痛くならなかった。寺を回ることが目的ではない。歩くことが目的である。歩いているうちに、頭の中が空っぽになっていくのがわかる。なにも考えない、なにも思わない、ただひたすらに歩くだけ。その中で、今まで意識していなかった”いのち”が見えてくる。今、ここを生きている、といういのちである。(写真は金昌寺・1300石仏)

 一日、のんびりと休みを入れて足を休め、翌日、小鹿野町営バスで秩父鉄道終点の三峰口駅に行き、そこで西武秩父駅から来る三峯神社行きのバスに乗り換える。一時間に一本のバスである。待つこと三十分。来たバスはなんとほぼ満員の状態。およそお三十分ほど、つづら折りの道を神社目指して登っていく。終点の駐車場も車で一杯。人の多いこと。三密などなんのその。みんなGO TO トラベルできているんだろう。私もそうだが。
 秩父の山の中の神社。たいしたものじゃないだろうと、高をくくっていって見て、驚いた。立派だ。大きくて、荘厳だ。そして、紅葉が素晴らしい。人が多いわけだ。三峯神社に関しては、その由来や歴史について、ほとんど調べもしないで行った。というか、寺めぐりで疲れてしまって、そういう興味もわかなくなっていた。ただただ、紅葉を見たいためにだけ登った、というところである。今になって、もう少し調べていけば、と少し後悔している。

 紅葉は期待に反せず素晴らしかった。