奄美自然の権利訴訟 訴状
(1995.02.23)

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訴状
鹿児島県大島郡住用村大字市字大浜一五一〇番地外
原告    アマミノクロウサギ
鹿児島県大島郡住用村大字市字大浜一五一〇番地外
原告    オオトラツグミ
鹿児島県大島郡龍郷町屋入九一八の一番地外
原告    アマミヤマシギ
鹿児島県大島郡龍郷町屋入九一八の一番地外
原告    ルリカケス
鹿児島県鹿児島市山下町一四の五〇

被告    鹿児島県知事
      土屋佳照
 その他の当事者の表示 
 別紙当事者目録及び代理人目録記載の通り。

請求の趣旨

一 被告が、岩崎産業株式会社に対し、平成四年三月三一日付でなした森林法一〇条の二に基づく林地開発行為の許可処分(指令四森保第三六号)は無効であることを確認する。
二 被告が、岩崎産業株式会社に対し、平成四年三月三一日付でなした森林法一〇条の二に基づく林地開発行為の許可処分(指令四森保第三六号)はこれを取り消す。
三 被告が、奄美大島開発株式会社に対し、平成六年一二月二日付でなした森林法一〇条の二に基づく林地開発行為の許可処分(指令六森保第一五号)は無効であることを確認する。
四 被告が、奄美大島開発株式会社に対し、平成六年一二月二日付でなした森林法一〇条の二に基づく林地開発行為の許可処分(指令六森保第一五号)はこれを取り消す。
五 訴訟費用は被告の負担とする。
 との判決を求める。


請求の原因

第一 はじめに


1 住用村ゴルフ場及び本件処分について
 平成二年ころ、鹿児島市山下町九番五号岩崎ビル所在の、訴外岩崎産業株式会社(以下岩崎産業という)は、鹿児島県大島郡住用村大字市字大浜一五一〇番地外に、開発面 積二七八万平方メートル、一八ホール、「奄美オーシャン・ビューゴルフクラブ」のゴルフ場開発を計画している(以下住用村ゴルフ場という)。住用村は奄美大島南東部に位 置する。
 奄美大島を始めとした南西諸島は隔離した島嶼において、特有の生物相を有し、固有の種または亜種に分化しているものが多いという点で世界的に注目されている地域である。住用村ゴルフ場開発予定地はアマミノクロウサギ、オオトラツグミなど南西諸島独特の貴重種が高い密度で生息する地域である。後に述べるように住用村ゴルフ場開発はアマミノクロウサギ、オオトラツグミなどの絶滅が危惧されている種の存続に大きな打撃を与える。そのため、多くの科学者、自然保護団体、市民から開発反対の意見が表明された。
 しかし、被告及び岩崎産業は住用村ゴルフ場予定地内にはアマミノクロウサギは生息していないとして、被告は岩崎産業に対し、平成四年三月三一日付でなした森林法一〇条の二に基づく林地開発行為の許可処分(指令四森保第三六号)を行った。ところが、その後、住用村ゴルフ場予定地内にアマミノクロウサギの糞が数多く発見されたため、現在岩崎産業により調査が進められている。

2 龍郷町ゴルフ場について
 鹿児島県鹿児島市平之町八番一三号所在の訴外奄美大島開発株式会社(以下奄美大島開発という)は、鹿児島県大島郡龍郷町屋入九一八の一番地外に一八ホール、開発面 積一、二五〇、五二五平方メートルのゴルフ場開発計画(以下龍郷町ゴルフ場という)を進めるため、佐藤工業株式会社及び川鉄商事株式会社の共同出資により、平成二年一一月に設立された会社である。
 龍郷町ゴルフ場予定地は奄美大島北東部に位置する。前述の通り、奄美大島は固有の種または亜種に分化しているものが多いという点で世界的に注目されている地域である。龍郷町ゴルフ予定地においても、オーストンオオアカゲラ、アカヒゲ、アマミヤマシギ、ルリカケス、イボイモリなどの貴重な動物相が見られる。一九九一年年四月一日、鹿児島県は「鹿児島県影響評価要綱を施行した。しかし、環境アセスメントは実施日以降に土地利用協議の申出がなされた開発についてのみ実施されることとなったため、龍郷町ゴルフ場については鹿児島県要綱に基づく、環境アセスメントは実施されていない。自然保護を省みない被告に対し、広範な市民の反対運動が生じたが、被告は奄美大島開発株式会社に対し平成六年一二月二日付で森林法一〇条の二に基づく林地開発行為の許可処分(指令六森保第一五号)を行った。

3 原告らについて
 原告アマミノクロウサギ及びオオトラツグミは本件住用村ゴルフ場予定地内に生息する野生生物であり、原告アマミヤマシギ及びルリカケスは本件龍郷町ゴルフ場予定地内に生息する野生生物である。
 別紙当事者目録(I)の原告「環境ネットワーク奄美」は薗博明を代表とし、奄美大島群島の自然物の権利を擁護し、自然環境の観察、研究、保全を目的として結成された権利能力無き社団である。構成員は維持会員と一般 会員に分かれる。維持会員は会議の維持運営に責任を持ち、会の財産を総有する。従って、会議では総会が最高決定機関となり、総会が選出した運営委員会が会議の日常業務を行う。趣旨に賛同し、二名の維持会員の推薦を得たうえ、運営委員会の承認があった場合に維持会員として会議に加入できる。一般 会員は趣旨に賛同して、会費を支払うことにより加入できるが、会議に関する意思決定権は与えられていないし、会議の財産を総有することもできない。
 別紙当事者目録(I)記載の原告中、原告肥後は龍郷町に居住する医師である。原告常田は名瀬市内に居住し、奄美大島内の野鳥観察家として活躍している。原告野上貴久子他別 紙当事者目録(I)記載のその余の原告は奄美大島内の野生生物の観察を続けている。別 紙当事者目録(II)の原告宮崎、同山口らは自然物の権利を擁護する運動に参加する者である。

4 原告らの関係について
 本件は自然物の権利侵害を重要な根拠として展開する訴訟であるが、自然物の権利を擁護するという時、単にアマミノクロウサギ、オオトラツグミ、アマミヤマシギ、ルリカケスなどの自然物が擁護されるということではなく、その存在を支える生態系をも含めて擁護されるという意味である。従って、人間の乱開発による種の絶滅(後に述べるような持続不能な絶滅)は最も深刻な権利侵害ということになる。
 自然及び自然物の権利が侵害された場合には、自然保護団体や個人が自然の権利を擁護するために自然物を代位 して、あるいは自らの自然享有権に基づき防衛権を行使する。本件について言えば、真の原告はアマミノクロウサギ、オオトラツグミ、アマミヤマシギ、ルリカケス及びそれらを含んでいる自然であり、その権利は他の原告らによって代位 して行使される。従って、自然ないし自然物の権利侵害によってその侵害の回復を求める者に司法的救済を求める地位 、すなわち、原告適格が当然認められることになる。他方、人間自身も、自然ないし自然物に代わって、その破壊(権利侵害)から自然及び自然物を防衛することのできる法的権能を有すると考える。さらに、人間は、自然ないし自然物を保護し、これらを破壊から防衛すべき固有の法的義務及び権利ないし権能を有する。
 本件においては、住用村ゴルフ場開発では、アマミノクロウサギ、オオトラツグミなどの希少野生動物の重要な生息地が破壊され、龍郷町ゴルフ場開発では、ルリカケス、アマミヤマシギなどの重要な生息地が破壊され、これらの種の存続に深刻な影響を及ぼすおそれがある。アマミノクロウサギ、オオトラツグミ、アマミヤマシギ、ルリカケスの各動物種は、固有に存在する権利を有し、その権利侵害に対し、各野生生物種を防衛するためにアマミノクロウサギ等を、それぞれ原告として表示し本訴を提起するものである。他方、人間も、これらの種の権利を代位 行使するとともに自然を破壊から防衛する固有の権利に基づき、原告として本訴を提起するものである。
 原告は、以下で、この自然の権利及び人間の自然にかかわる権利ないし権能の根拠、内容及び法的性格等について明らかにしていく予定である。

第二 自然物の権利の基盤

 一 生態系における人間の地位
1 人間も含めて、自然界は多くの生物や山河、海、湿地などが関係を有機的に関係を持ち合い、空間的な広がりを形成している。生命は物理的環境や土壌中のバクテリアなども含めて無数の生命と関係しながら、環境に適応し、環境を変化させ進化してきた。このような生態系のメカニズムは生態学の発展によって明らかになってきた。生態学の世界では、これまで生態系の機能や構造を植物(一次生産者)、消費者(植食動物、捕食性動物)、分解者間でのエネルギーや物質の流れから説明する試みが展開された。さらに最近では自然界、生物群集の持つ多様な生物の持続的な共存を支える仕組み、構造を総体的にとらえるために自然物の個々の関係をより具体的にとらえる試みも展開されている。
 例えば、ある学者は生物の住み分けに次のように説明する。「生態系における生物群集の多様性を食物連鎖を通 じての種間のエネルギーの流れと同時に住み場所から説明することにより具体的な『生態系』の説明が可能となってくる。・・・樹木にみられるように高山帯の灌木から熱帯多雨林の巨木までさまざまな形態を生じ動物に住み場所を提供している。植物の形態を反映して、広い空間にわたって一つの葉でミクロハビタット、さらに木の幹、枝など多様な住み場所が提供されている。・・・(それに応じて)地上部では、土壌の世界に比べて多様な生物の共生系ができあがっている。動物の形態、生活史、そして行動が進化してきた。」。ここでは、生物相互の関係を具体的に総体的にとらえるために、樹木、森の構造と生物の多様性の関係を説明し、多様な生物と環境、生息地の複雑で入り組んだ関係を共生という考えでとらえていこうとしている。そして、近時の生態学は生物の共生関係は人間も例外ではないことを明らかにしている。このように科学の発展、とりわけ生態学の発展は人間が特殊な存在ではないことを明らかにしてきたのである。

2 人間が長い進化の過程から生まれてきたことは既に常識となっている。しかし、生物は単に生存競争に勝ち残ってきたため今日まで進化してきたというのではない。複雑に相互に関連した生物のありようからすれば、自然界では生物の間の相互作用としての「系」が、うまく調和するシステムのみが存続してきたといえる。すなわち、「系」としての環境と調和が図れた種が進化し、進化の連鎖に加わることができたのである。人間もやはり環境に調和した結果 ヒトという種として誕生してきたのである。このように考えれば、人間のみが孤立して発生したものではないことは明らかであるし、前記のような精密な生態学的探究により今日では人間を含んだ自然生態系は微妙なバランスの上に成り立っていることが明らかにされつつあるのである。

3 実際、人間は自然界より物質的、文化的、生物学的資源を得ていると言われている。人間の食物が自然に依存していることは言うまでもない。自然は人間の衣食住をはじめとする全ての経済活動に物的資源を提供する。
 また、自然は、自然を対象とする人間の科学的・文化的研究対象の情報源であるとともに、人間の精神的活動の基盤である。そのため遺伝子、種、生態系の多様性の減少は、文化の多様性の減少を招いている。多様な文化が、穀物や家畜における多数の品種をつくり出し、多様な生息地を維持してきた。同様に、ある穀物が消失したり、伝統的な穀物が輸出穀物に代わったり、宗教、神話、民族と結び付けている生物種が絶滅してしまったり、郷土が改変され質が低下することは、生物ばかりでなく文化の消失でもあることは明らかである。例えば、いわゆる先住民が生存している場所の多くは生物の多様性が非常に高いところであり、彼らはその土地を長年にわたって占有し、文化的、精神的、経済的なつながりを持つとともに、多くの場合、それはその土地を持続可能な形で管理する能力があることにもとづいている。ところが、わが国も含めて世界の先住民が伝承してきた文化の多様性は、開発を中心とした支配的な社会の経済に呑み込まれ、豊かな精神文化が消滅の危険にさらされている。
 加えて、近時は生物は遺伝資源として検討が進められており、限りない可能性は認識されているもののその解明は始まったばかりであると言われている。自然は現代の人間にとり、了解可能な効用以外の多様な利益を人間にもたらす。現代の人間は自然界の構造とその機能のほんの一部分しか理解しているにすぎない。全体自然あるいは個々の自然物が、人間にとりどのような効用を有するのかは、今後の人類の経験の積み重ねと科学の発達を待つほかはない。

4 このような視点からすれば人間はけっして特別な地位になく、その存在は自然に深く依存している。原告は後に述べるように人間が自然物の固有の存在様式を尊重する義務があるとの主張は右の認識を前提とする。

二 自然及び自然物の尊厳について
1 原告らは原則として自然が存在することのみを根拠に保護されねばならないと考える。それは自然が現代の人間文明にとっての功利的価値を越えた固有の価値を有することを意味する。
 先にも述べたとおり、自然はその内に多様な生物界を含み、人間も実際には多様な生物界に依存して生存している。それは、生物界とその生存基盤である非生物界の相互作用が人間という種の発生と進化を実現してきたからである。人間の存在は、このような意味で深く自然に依存し、自然の展開の一こまと捉えることが可能である。本来、自然を人間と分割することはできず、人間は自然と一体のものである。とするならば、人間の尊厳という価値の承認は、必然的に自然の固有の価値の承認、自然の尊厳の承認をともなう。ここにおいて自然とは、人間と区別 され、人間の「外」にあるものではなく、人間を含むと共に人間と一つのものである。また、人間が自然の一部であるという考えは、人間は自然を構成している自然物対し、特別 な地位にないことを意味する。

2 他方、自然は、現代の人間にとり、了解可能な効用以外の多様な利益を人間にもたらす。
 現代の人間は自然界の構造のその機能のほんの一部分しか理解しているに過ぎない。自然あるいは個々の自然物が、人間にとりどのような効用を有するのかは、今後の人間の経験の積み重ねと科学の発達を待つほかはない。
 さらに自然は、現代の人間の文明にとっての功利的価値を越えた固有の価値を有する。すなわち、自然の存在、その存在様式及びその展開は、それ自体が固有の価値を有すると考えるのである。
 先にも述べたとおり、自然はその内に多様な生物界を含む。そして生物界とその生存基盤である非生物界の相互作用が人間という種の発生と進化を実現してきた。
 すなわち人間の存在は、このような意味で深く自然に依存し、人間の展開の一こまととらえることが可能である。
 本来、自然を人間と分割することはできず、人間は自然と一体のものである。ここに人間の尊厳という価値の承認は、必然的に固有の価値の承認を伴う。

2 人間は自然の価値を様々な認識手段により把握することができる。ことに、自然が人間に対して有する効用に関しては、既存の経験知、科学知を通 じて、ある程度の了解が可能であり、今後も認識の領域は広まっていくであろう。しかし、自然の真の価値、固有の価値を人間はどうのようにして理解することができるだろうか。
 人間の尊厳は、現代世界において、人類の共通・共有の価値として絶対的通用性をもち、近代法の理念的基礎を形成している。人間の尊厳という価値も経験知、科学知のみによっては了解不可能なものであるが、我々はこれをはかり知れない価値をもつものとして承認している。これは人類が歴史的獲得してきた感性の浄化、精神性の深化の結果 と言える。同様に、今日では自然の固有の価値を人類は次第に自覚しはじめている。

3 人間の尊厳と自然の尊厳とは究極において矛盾するものではない。人間は自然の一部とも言えるし、自然に深く依存している。
 しかし、原告らは自然の固有の価値を承認すると言っても、自然及びそれを代理する人間の主張を絶対視するものではない。人間や自然の尊厳が比較できないはかりしれないものとして承認する以上、人間どうしはもとより、自然と人間との間でも、「互いに尊重し、される関係」は必要不可欠である。
 さらに、人間の知は、常に未熟であり、不完全なものであることを自覚しなければならない。この点で、原告は、全体主義的な考え、すなわち全体自然の保全の名のもとに、人間のあらゆる権利を一方的に制約しようという考えをとるものではない。

 三 自然の価値の特性
1 ところで、自然の価値、すなわち自然の効用及びその固有の価値は、時間的、空間的広がりを持つ。まず、これらの価値は、現代の多くの人間の生存に密接に関係するばかりでなく、将来世代の人々にとってもその生存の基盤を成す。また、自然の価値はひとり人間にのみ帰属するのではない。自然あるいはその構成要素も広く自然の価値の享有主体である。
2 他方、現代文明の擁する技術力は、自然の存在様式と変化のプロセスを根本的に侵害する可能性をはらんでいる。今日までの人間による自然の破壊について、人間はこれを回復する目途すらつけることはできない。現代文明を前に自然は、きわめて微妙で壊れやすく、人間が一度(部分的にせよ)自然を破壊した場合、これを回復ことはきわて困難である。ことに種の絶滅の回復は不可能である。

四 生存の多様性の危機
 現代社会では自然は経済的にも正しく評価されていないと考えられる。生物資源には市場に出されることなく直接消費されるものが多いこと、生物の多様性がもたらす利益は、そのほとんどが「公共財」であって、誰かひとりが所有を主張できるものではないため、その利益は広く分散してしまい、考慮されにくいこと、自然生産物を持続的に収穫して暮らしている現地の森林生活者よりも、森林やその他の自然植生を開拓した人々に所有権が付与されやすいことなどから現代社会は自然物に正しい価値を与えていない。しかし、多様な自然は、その価値を正しく見積もれば、重要な経済的財産なのである。ところが、それが常に過少評価されるため、生物の多様性保全は軽視され環境破壊は地球規模で進行しているのである。
 既に地球上の全ての土地は既に人間の手によって分割されており、自然の浪費のために地球温暖化、フロンガス問題、酸性雨、砂漠化などが社会問題化している。大規模な商業的狩猟による野生生物の危機や乱開発によるハビタットの破壊による種の多様性が危機あることは常識となっている。アメリカ合衆国政府特別 報告「西暦二〇〇〇年の地球」によれば、種の減少は日々一種から三種の動植物が滅び、今後の二〇年間で種が一五%から二〇%滅ぶと言われている。
 わが国においても開発−利権の構造の中で、無計画にダム、林道、ゴルフ場などの開発が進められ野生生物の生息地は深刻な破壊に見舞われている。日本は変化に富んだ地形、気候など豊かな自然環境を有しており、多種多様な動植物が生息しているが、社会、経済活動の拡大等により、豊かな自然は失われあるいは大きな変化を余儀無くされているのである。

 環境庁の基礎調査によると、森林地域は国土の六七・五%を占めているが、自然草原、自然林からなる自然度の高い緑は、国土の一九・三%でその六割が北海道に分布している。そして、自然林、二次林は徐々に減少している。さらに、環境庁第三回基礎調査によると調査対象四八七湖沼(一ヘクタール以上の天然湖沼)のうち昭和二〇年以降何らかの干拓・埋立の行われた湖沼は五七湖沼で面 積が約三四四km2となっている。
 また、主要な、一一三河川の水際線一一、四一二、〇kmのうち人工化された水際線(平水時に護岸など人口構造物と接している水際線)の総延長は、昭和六〇年度では二、四四一・五km(二一・四%)であり、河原の土地利用状況をみると、自然地が約三分の一で農業地や施設的利用地が割合が増えている。また、河川横断工作物がない河川は、一三河川に過ぎない。さらに、海岸については、調査対象河川のうち自然海岸が五六・七%であり、昭和五三年から五九年までの変化をみると、自然海岸(五六五km)が減少し、人工海岸(六九六km)及び半自然海岸(一一七km)が増加している。その増減の内訳をみると、砂浜、岩石海岸が減少し、埋め立て海岸が増加しているなど湖沼、河川及び海岸は、干拓・埋立等や岸辺の人工化が進行している。

 このような開発による自然破壊などが原因して日本の野生生物種の多様性は著しい後退を余儀無くされている。環境庁が昭和六一年度から六三年度にかけて実施した『緊急に保護を要する動植物の種の調査』等によればニホンオオカミやニホンアシカように既に絶滅してしまったもの及びニホンカワウソ、イリオモテヤマネコ等絶滅のおそれのあるものは動物で六九三種、植物で八九五種あるとされている。既に日本の野生種四〇%が絶滅の危機あるとすら言われている。
 このように種の多様性は国際的にはもちろん、わが国においては特に深刻な危機に陥っている。汚染物質を出して他の生物を滅ぼして、生態学的地位 を優位に保つ生物は一時的には固体数を増やすが、自分自身がつくり出した環境に適応できなければやがてはその生物が滅んでいくというのは生態学的常識といわれている。この常識は人間にもあてはまろうとしているのである。現代社会では人類は岐路に立っており、ここに人間の地位 が他の自然物と比較して特別に地位にないことが強調されなければならない根拠がある。

第三 自然物の権利の法的根拠


一 自然及び自然物の法的保護
自然の価値はそれ自体法律上保護に値する利益である。
自然の固有の価値は、人間の尊厳と同様法的保護に値する利益である。この主張は、以下のような認識を前提とする。
 @ 自然はその存在自体(その存在様式や変化の過程を含めて)が固有の価値を有する。
 A 自然は人間の生存(生物学的・精神的)にとって不可欠の基礎である。
 B 自然が人間にとり有する様々な効用は代替が不可能である。
 C 自然の固有の価値及びその効用は一部の現代人のみならず、将来世代の人々にとっても少なくとも同等以上の意義を持つ。
 D 人間という種の発生以降今日に至るまで人間は自然を利用し尽くしてきた。ことに、農耕文明の発達以降、素朴な意味での人間と自然の共存ないし共生は不可能となった。
 E 産業革命以降の自然の破壊は、もはや回復不可能な事態にまでさしかかっている。そして、現代文明の物質主義的思潮と技術力は、自然の存在様式を根底から破壊する力を有しており、人間の行動の国家間的ないし国家的(すなわち法的)な抑制が不可欠である。
 F 現代の破壊の進行は人間社会のあり方の問題、すなわち「人間による人間の支配と利用」という社会の構造的問題をも反映しており、自然の保護には、社会構造の改革が不可欠である。法は、この点で相応の役割を果 たすことが期待できる。
 二 自然及び自然物の法的保護のあり方
1 自然及び自然物を法的に保護するにあたっては、様々な方法が考えられる。既に、現代法の下においても立法上、解釈上、様々な試みがなされている。従来は、自然及びその構成要素は固有の価値を有せず、原則的に、単なる「もの」あるいは「人間の権利の客体」にすぎないと考えられていた。しかし、われわれは、自然の法的保護のあり方につき、以下のように考える。
 第一に、全体自然及び自然物(個々の生物、生物の種及び島、山、川、湖、湿地などの生態系の単位 )に法的な権利を付与する
 第二に、人間は、全体自然に対し、これを原則的に保護すべき片面的な法的義務を負う
 第三に、人間自身も、自然及び自然物をその破壊から防衛することのできる固有の権利を有する。
というものである。

2 自然及び自然物の権利、人間の自然に対する保護義務の性格、内容については、後日、詳細に主張するが、ここではその概要のみを明らかにする。
 まず、自然および自然物の権利についてであるが、自然および自然物に権利性を付与するという主張は、近代法の常識の下では違和感をもたらすに違いない。しかし、人権概念も、それが人間の尊厳という価値に深源を有するとしても、法的概念としては、社会制度の枠組みの中で操作可能な概念として歴史的に形成されてきたものである。社団や財団が権利主体とすることにかつては違和感を感じたものが、時代の変遷とともに常識として受け入れられてきたように、自然を法的主体として法制度の中に読み込むことは技術的に十分に可能である。

 また、このような考え方は様々な法的効用を有する。
 すなわち、人間による無秩序な自然の開発や利用の全てを自然に対する権利侵害行為と捉える。この侵害行為に対し、人間が自然を代理して行政、司法の手続き過程内で利益主張する機会が与えられることになる。この場合、開発や利用行為に対しては厳格な適正手続が求められ、これらは多様な(民主的・司法的)法的コントロールのもとに置かれることになる。
 また、無秩序な開発や利用が人間の社会構造のゆがみにその一因を有していることは、既に指摘したが、これらに対する法的監査の過程で問題の社会的要因を明らかにするとともに、その解決への方向を模索することが可能となる。
 もとより、自然及び自然物の権利といっても、人間の権利とまったく同様の性格と機能を有すると考える必要はない。自然の権利に不可欠なのは、訴権である。
 われわれは、自然及び自然物に固有の訴権があると考える。そして、人間はこれらの訴権を代理人として行使することができると考える。そして、後に明らかにするとおり、このような訴権ないし原告適格は、現行法のもとでも解釈上、許容する余地が十分にあると考える。
 また、自然及び自然物が権利を有するといっても、人間と同等な実体的権利を有していると考えているわけではない。
 もとより、自然及び自然物の価値は、人間の権利(ことに人間の自我にかかわる経済的利害)とは性格を異にし、本質的に経済的基準による比較衡量 にはなじまない。

3 他方、人間は自然を原則的に保護すべき法的義務を有するという考え方は、人類の文明が自然に対し、侵害的であり続けてきたという歴史的認識と、その破壊の程度がもはや回復不可能な程度にまで達し、人類の持続的生存すらも危うくしているという現状認識に基礎を置く。すなわち、人間は、自然に対しできるかぎり、謙抑的でなければならず、原則的に保護し、例外的に利用するという原則に立たなければならない。この原則の法的表現が人間の原則的な自然保護に義務である。
 そもそも、自然環境は人間生活の場であり、人間生存の不可欠の前提である。逆にいえば、自然環境は単なる権利の客体ではなく、人間生存の一部分としてみなければならない。したがって、これ以上の自然環境の破壊をくいとめることは、現在及び将来の人類共通 の利益である。そこで、自然の人間に対する現在及び将来的な全ての利益、恩恵を保護するために、人間の自然に対する行動準則を法原則として確立することを提唱する。すなわち、自然のシステムとその過程とを破壊する人間の活動は原則的に違法であり、権利の行使とは認められず、法的な保護に値しないと考えるべきである。ここでは、人間の活動は他人の人件を侵害するが故に制約されるのではなく、自然環境を破壊するが故に違法なのである。

 もっとも、このような考え方をとるとしても、全ての産業開発を否定しようというのではないし、一切の農業開発をやめるべきだというつもりはない。人間の自然に対する関与や利用の仕方は多様な目的と態様があり、自然に与える影響の様々である。これらの人間活動を類型的に整理し、その類型ごとに例外としての開発のための許容の手続きと許容基準を設定すべきである。そして、人間の基本的生存のために不可欠な行為やあるいは伝統的な生活様式に属し、自然への影響が軽微で、その多様性と再生産性を阻害しないような活動については、類型的に違法性が阻却されると考えるべきである
 ところで、このような意味で違法な人間活動は、時として、刑罰的制裁の対象となるばかりでなく、その回復と予防のための費用負担を強制され、さらに自然破壊に対する人間の防衛権の行使の対象となる。
 他方、自然環境の利用や開発を企図する主体は、その利用や基本システムを破壊せず、人類に不可欠の価値を有することについて立証責任を負担すべきである。
 そして、このような義務の存在は後に明らかにするように現行法の理念の中に読み込むことも十分可能である。

4 このような義務の存在と人間の尊厳という理念から、われわれは、人間の自然に対する防衛の権利と義務を導き出すことができる。すなわち、人間の尊厳を確保するためには、自然の保護は不可決の前提である。また、人間は、将来世代の人々との尊厳ある生存の基礎(すなわち自然)を可能な限り承継していくべき歴史的責務負う。ここから人間は自然を他の人間による破壊から防衛する固有の権利と義務を有する。
 また、自然を保護すべき人間の義務を実現するためには、人間に自然を防衛すべき権能を付与することが不可欠である。
 もとより、自然の価値と人間の価値は、究極的には一体のものであり、人間の尊厳を確保するための権利と自然を保護すべき義務に基づく自然破壊に対する防衛権とは表裏の関係にある。

5 自然物の権利の意義
 以上まとめると、自然及び自然物の権利というときその内容は以下の通りである。
 @ 当該自然物がこれまで進化の過程で形成してきた存在の様式及び生物、非生物の相互の依存している状態が存在することのみを理由に価値有るものとして法的に承認されること。
 A 右承認された価値が侵害された場合に市民は誰でもこれを擁護し、保全する権利と義務を有すること。
 Bこれらの結果として、行政行為の一般的要件である公共性及び個々の自然保護法規、開発法規の解釈に当たって@の価値を考慮すること。
 C 自然保護、開発関連法規に基づく処分について自然及び自然物そして市民に自然物の権利侵害を理由に原告適格が認められるべきこと。
 D 自然保護、開発関連法規とこれらに基づく処分は、実体的にも手続的にも適正手続に合致していなければならないこと。

三 自然及び自然物の権利と公共性
1 公共性に関する視座の転換
 伝統的にわが国では自然を公物として国家が管理し、国家は「公共性」を管理の基準としてして政策を実施してきた。ところで、「公共性」の意義について、これまでのところ政府は公共性とは個々の国民とは分離されたところの国家的利益、あるいは抽象的な国民の利益と解し、環境保護に対する国民の権利は無視してきた。しかし、イタイイタイ病訴訟、水俣病訴訟、四日市公害訴訟、さらに大阪空港訴訟、新幹線騒音訴訟と現実には従来公共性の名のもとに実施されてきた事業が実際には環境を破壊し、深刻な人権侵害を招くことが司法的にも明らかになってきたため「公共性」の概念に対しても大きな視座の転換がなされつつある。すなわち、公共性を単に抽象的に国民の利益ととらえるのではなく、個々の市民の具体的利益から検討される内容が明らかにされる課題であるととらえるのである。我々が「公共性」というとき、それは個々の市民の具体的な権利の共同実現ということになる。また、国家や自治体が公共的立場から自然公物を管理しているということの意味は、個々の市民が国家に公共的に信託した公物の管理を信託の趣旨に即して管理するという意味になる。

2 自然の権利における公共的意義(公共的信託と自然享有権)
 自然は存在するというだけの理由で人間の利益に係わるか否か関係なく本来尊重されなければならない。それは、人間も含めた生物、非生物が相互に依存して進化し、現に相互に依存して存在するからである。また、そうでなくとも、人類は多くの物質的、文化的、生物学的資源を自然に依存している。開発の名のもとにそれの資源が特定個人のために消費されることは平等の原則から言って許されない。また、現在では資源としては未知ではあるが、未来世代にとってきわめて有用となるかもしれない資源を現世代で消費することも許されるべきではない。
 従って、特定の者の利益のみのために河川や湿地、野生生物などの自然物の権利は侵害されてはならないし、まして、開発の名のもとに自然が浪費、破壊されることは防止されねばならない。自然は何人にも享有されねばならない故に高い公共性がある。そして、個々の市民は政府や自治体に対し、公共性の名のもとに自然物の管理を公共的に信託しているのである。従って、仮に政府が信託の趣旨に反して自然物の権利を擁護できなれば、市民は自然物の権利を擁護する義務者として、または、自然を享有することのできる権利者として、政府の行為を差し止めることができると考えるべきである

四 自然及び自然物の権利の歴史的系譜
1.近代以前、人間の自然に対する働きかけの中で、自然環境に最も強い影響を与えたのは農耕であった。しかし、近代以前の農耕は自然に与えた影響は小さくはなかったにせよ、破滅的なものではなかった。もっとも、中世以前でも人間と自然とが理想的な調和状態にあったと考えるのは素朴すぎる。例えば、中世においても人間は開発による人口過剰や自然の荒廃といった課題に直面 し続けていたはずである。
 一七世紀のヨーロッパにおこった科学革命とそれに伴う産業革命は、人間と自然との関係を更に急激に変化させた。科学革命の結果 、人びとは、物と心とを明確に二分化し、自然を単なるものとして捉え、人間はこの自然を観察し、解釈する主人公となった。ここでは、人間は自然の支配者であり、自然は単なる「もの」あるいは「客体」にすぎない。
 人間が科学技術を用いて、自然環境を改変し始めた動機は、より豊かに、より快適にという近代文明の物質主義的思潮である。そして、このような考え方の背後には、人間が最も尊いという思想が存在していた。物質主義は人間中心主義の経済的側面 である。現代においても、物質主義的思潮がなお支配的であり、ますます高度化した物質文明は加速度的に自然環境に対する影響を強めつつある。今日でもなお物質レベルでより豊かに、より快適に暮らすことが、人類の進歩であるという考えは根強く残っている。しかし、一方では物質文明への反省も生まれてきた。これは現代文明による環境の破壊が、もはや抜さしならない程度にまで達し、人間の生存そのものをもおびやし始めているという事実が、科学的に予測可能となってきたからである。

2 人間と自然の新しい関係を模索する試みは、ここ数十年の間に著しく変化した。このような新しい考え方の中で最も代表的なものは、エコロジーの思想である。エコロジーの思想とは、概括的に言えば、生態学を基礎にして、全生物と無機的環境を全体として有機的なシステムととらえる考え方である。そして、人間と自然との関係のあり方については人間と自然の調和あるいは人間と自然の共生というテーゼを提唱する。

3 アメリカ生態学者アルド・レオポルトは、一九四九年「野生のうたが聞こえる」というエッセイ集の中で自然がいかに巧妙な系をなしているか書き綴った上で「土地倫理」を提唱した。「土地倫理」の箇所でレオポルトは次のように述べている。「ランド・エシックとは、要するにこの共同体という枠を、土壌や水、植物、動物、つまりはこれらを総称した「土地」にまで拡大し場合の倫理を指す。要するに、ランド・エシックは、ヒトという種の役割を、土地という共同体の征服者から、平凡な一員、一構成員へと変えるのである。これは、仲間の構成員に対する尊敬の念の現れであると同時に、自分の所属している共同体への尊敬の念の現れでもある。」と主張した。自然を共同体と考えるべきこと、人間は決して特別 な存在ではないことなどを骨子としたレオポルトの環境倫理の思想はその後の環境保護運動に大きな影響を与えた。環境倫理思想の源流である。

4 さらにこのような思潮を背景に自然の権利として自然物の存在が法的に保護されなければならないという主張が提唱された。南カリフォルニア大学法哲学教授クリストファー・ストーンは自然物の権利について検討を加え、一九七二年、「樹木の当事者適格 (Should Tree Have Standing ?) 」という論文の中で、自然物も法的な権利があり、その権利が侵害されれば妨害の排除、回復、損害賠償が認められるべきであるという考えを発表した。国家や学校などの非人間的な存在でも法人格をもつように、自然物も法人格をもたせることができる、そして、自然物の権利は自然のことを最もよく心配する市民によって代理してあるいは代位 して行使されると考えたのである。この論文の結論をすすめれば自然物の権利を侵害する違法な開発許可に対して、自然物を代弁するということだけで当事者適格が与えられることになる。この論文は、シエラ・クラブによるミネラル・キング渓谷開発許可違法宣言を求める裁判において、ダグラス判事の少数意見として次のように引用された。「自然生態的な均衡を保護することに対する最近の大衆の関心は、環境客体に自己の保存のための裁判を提起する資格を与える方向に進むべきである。そこで、この裁判は、ミネラル・キング対モートンと名付けられるのが適当である。」

5 ストーンの論文以降、一九七四年から七九年の間に汚染されてきた川、沼、小川、海岸、種、樹木の名前で訴訟が展開された。さらに、一九七三年には、“ENDANGERED SPECIES ACT”が制定され、絶滅の恐れのある種に対する侵害行為に対し、誰でも(any person)それを差止めるなどの行為をでき、司法的判断も受けることができる条項が盛られると、自然物の権利の保護を求める訴訟はさらに前進した。一九七八年一月二七日には、「シエラ・クラブ」と「ハワイ・オーデュボン協会」とがパリーラ(キムネハワイマシコ)というフィンチのために生息地の放牧等の禁止を求めて提訴した。このときの事件の名前は「パリーラ対ハワイ土地天然資源省」として記録されている。そして連邦裁判所は、一九七九年六月、この事件の原告をパリーラとして表示したまま勝訴させている。この他にも、マーブルドマーレットという鳥、フクロウ、グリズリーベアーなどが原告となって訴えを提起し、原告を勝訴させている事例がある。

 

第四 自然物の権利の法的根拠

 一 自然物の権利の条約上の根拠
 一九八二年一〇月二八日、国連総会は世界自然憲章を採択した。同憲章では人間は自然の一部であること、「すべての生命形態は固有のものであり、人間にとって価値があるか否かに関わらず尊重されるべきものであること、及び、そのことをそれらの生物に当てはめるために人間は行動を自己規制しなければならないこと」となどが確認された。さらに、同憲章が認めている一般 原則には「地球上の遺伝的生命力は常に優先され、また、野生状態にあるか人的管理下にあるかにかかわらず全ての生命形態の固体数は少なくともその存続に充分なレベルで維持され、更に、この目的のため、必要な生息地は保護される。」と記載され、人間の社会とは別 に自然物固有の利益、すなわち自然の権利を承認している。さらに、ラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)、世界遺産条約(世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約)、ワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)、ボン条約(移動性野生動物種の保全に関する条約)、生物多様性に関する条約などにおいても自然の権利は承認されている。

 二 憲法及び現行法
1 憲法
 日本国憲法は個人の尊厳を至上の価値に置いている。人間が生命全般の有機的つながりの中で進化し、相互に依存して生存を維持している現実からすれば、人の尊厳の思想が生命全般 の尊厳の維持の思想を基盤としていることは明らかである。そして、地球規模の自然破壊が進む中で、人間を中心とした価値観は世界自然憲章がいうように、人間も自然の一部であるという価値観に変わりつつある。科学が進歩して自然への理解が進めば進むほど人間の存在は特別 なものではなくなっている。また、自然への共感も深まってきた。それに伴い、個人の尊厳という思想は生命の尊厳という思想に進歩しつつあるというべきである。憲法が個人の尊厳を中核として、友愛、平和、生命尊重や自由という価値に至高の価値を認めていることは明白である以上、今日では憲法の前文、憲法条文全体さらには憲法一三条、一四条によって、すべての生命を尊重するという趣旨が保護されるべきである。

2 「動物の保護及び管理に関する法律」
 「動物の保護及び管理に関する法律」第一条では「この法律は、動物の虐待の防止、動物の適正な取扱いその他、動物の保護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止することを目的とする。」と定めている。そして、同法二条では「何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、その習性を考慮して適性に取り扱うようにしなければならない。」とし、それに違反した場合には懲役刑等の刑罰が課せられる。このようにこの法律は「苦しみ」という形で生物にも主体性を認め、国民に生命尊重義務を具体的に課しているのである。

3 「絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存に関する法律」
 一九九三年四月よりいわゆる「絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」が施行された。この法律は一九七三年アメリカで制定された“ ENDANGERED SPECIES ACT”「絶滅の危機にある種の法」をモデルに制定されたものであるが、それは種の保存には比較できない価値があり、一定の種の保存が人間活動に無条件に優先することを承認した法律である。
 我が国の種の保存法もアメリカの法律に比較すると大幅な後退があるが、自然生態系の保存に法的な価値を認めている点で重要な意義を有する。同法第一条には「この法律は、野生動植物が、生態系の重要な構成要素であるだけでなく、自然環境の重要な一部として人類の豊かな生活に欠かすことのできないものであることにかんがみ、絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存を図ることにより良好な自然環境を保全し、もって現在および将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする。」記載されている。第一条は「野生動植物が、生態系の重要な構成要素」であるから「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存を図ることにより良好な自然環境を保全」するということを認めている。法は「野生動植物が、生態系の重要な構成要素」ことのみを理由に「種の保存を図る」とし、自然物の存在に法的な価値を認めているのである。

 第一条の法の目的を受けて、同法第二条第一項、第二項では国、自治体に野生生物を絶滅から救済する施策を実施する責務を定め、第三項では国民の義務として野生生物の種の保存に寄与する義務を定める。第七条では希少野生動植物種の個体の所有者又は占有者の義務を定め、第三四条では「土地の所有者又は占有者は、その土地の利用に当たっては、国内希少野生動植物種の保存に留意しなければならない。」と定めている。さらに法第九条では「国内希少野生動植物種及び緊急指定種の生きている個体は、捕獲、採取、殺傷又は損傷(以下「捕獲等」という)してはならない。」と定めている。

 ところで、種の保存法では単に絶滅が危惧されている種の保存をうたっているのみならず、特定の種が組み込まれている生態系をも含めて保存を図ろうとしている点に重要な特色を持つ。法一条では「野生動植物が、生態系の重要な構成要素」であるから保存するとしているし、国内希少野生動植物種については、その生息地・生育環境を保全するため必要に応じて生息地保護区を指定することができると定める(法三六条以下)。従って、国、自治体の責務、国民の義務、土地の所有者又は占有者の留意すべき内容には当然「種」の含まれる生態系、生息地の保存を行う責務、義務が含まれていると解さなければならない。また、法九条の定める「損傷」には「捕獲、採取、殺傷」など、国内希少野生動植物種の個体に対するなんらかの危害を加える行為をさし、それは「国内希少野生動植物種」の生息地の破壊も含めて「危害」を与えることと解さなければならない。

4 自然を守る法律には文化財保護法、自然公園法、森林法等の開発規制法があり、これらの法の解釈、運用にも野生生物保護の考え、自然物の権利擁護の考えが出てきており、自然物が存在する権利は徐々に承認されつつある。


第五 本件各開発許可の違法性

一 奄美大島の自然について
 奄美大島群島は薩南諸島内の南に位置し、沖縄諸島とともに南西諸島と呼ばれている。南西諸島は北緯三〇度五〇分から二四分付近に至る約一二〇〇kmにおよぶ弧 状列島の総称で、大小一二〇余りの島嶼からなる。近海を移流する暖流黒潮に洗われ、高温多雨の亜熱帯的気候に支配される。南西諸島に生息する哺乳類は、海牛類、クジラ類を除いて、六目三三種が記録されている。この種数は、南西諸島を除く他の国土に生息する種数の一/三に相当する。南西諸島の陸地面 積は、その他の国土の一/八〇ほどである。しかし、一、〇〇〇km2の単位面積当たりの種数を比べてみると、南西諸島はその他の国土の二二・一倍となっている。鳥類にとっては渡り鳥の重要なルートとなっていることが指摘されている。

二 南西諸島の哺乳類及び鳥類
 南西諸島の哺乳類相、鳥類相等の種組成は、奄美諸島以南と大隅諸島との間で大きな変化が認められる。奄美諸島以南では東洋区系種が、大隅諸島以北では旧北区系種がそれぞれ大部分を占めている。この生物分布境界線は渡瀬ラインと呼ばれている。ところで、南西諸島の哺乳類の大部分が固有種または亜種化したもので、しかも近隣地域の対応種に比べて古い形質を備えたものが多い。これは南西諸島が第四紀以降の島としての歴史が長いことによると考えられる。
 環境庁の作成した哺乳類レッドデータブックによれば、絶滅種五種のうち一、絶滅危惧種三種のうち一種が生息する。危急種一一種のうち六、希少種三六種のうち八種、地域個体群一三種のうち一種は、南西諸島産のものである。奄美大島には原告アマミノクロウサギ外、ワタセジネズミ、アマミノクロウサギ、アマミトゲネズミ、ケナガネズミの危急種四種などが生息する。
 また、南西諸島全体で鳥類が二五八種が記録され、そのうち国際自然保護連合(IUCN)のレッドデータブック選定種中、絶滅種が五種、絶滅危惧種が一三種、希少種が七種とわが国のレッドデータブック選定種の五〇%近くは南西諸島とかかわりのあるものでしめられている。奄美大島諸島には留鳥三一種が確認され、その中には絶滅危惧種であるアマミヤマシギ、オーストンオオアカゲラ、オオトラツグミ、絶滅危急種であるアカヒゲ、カラスバトなどが含まれている。

三 本件各開発許可に伴って生ずる自然物の権利侵害と公共性の欠如
1 住用村ゴルフ場開発による原告アマミノクロウサギの権利侵
 アマミノクロウサギは哺乳動物の分類ではウサギ目、ウサギ科、アマミノクロウサギ属に分類されている。アマミノクロウサギは木の根元などに穴を掘って巣穴を持ち、巣穴で出産する。毛色が黒っぽく、体重二・五kgほどである。穴ウサギの特徴として耳が約四cm程と小さく、尾が一一mmから三五mmと短く、足も短いが、爪は大きく強力である。夜行性で、しばしば「ピューイィ、ピューイィ」と鳴く。これらの特徴から学者によってはウサギ科をウサギ亜科とムカシウサギ亜科に分類し、アマミノクロウサギをムカシウサギ亜科としている。ムカシウサギ亜科は始新世後期に繁栄したが、現在はウサギ科にとって代わられている。ムカシウサギ亜科はいずれも絶滅が心配されている。
 アマミノクロウサギは世界中でも奄美大島と徳之島にのみ生息し、国際自然保護連合(IUCN)のレッド・データ・ブック(一九九〇年)では絶滅危惧種に指定されている。日本の哺乳類の中では、世界的にみても最も貴重な種の一つで、しばしば「生きた化石」として紹介される。わが国の文化財保護法による天然記念物指定第一号の種であり、一九六三年三月には特別 天然記念物となっている。現在のところアマミノクロウサギは「種の保存法」にいう国内希少野生動植物種には指定されていない。
 このようにアマミノクロウサギは世界的にみても最も貴重な哺乳類の一つである。しかし、近年、奄美大島では大規模な伐採によりアマミノクロウサギの食物であるシイの実が急激に減少し、繁殖地も減少している。その結果 、アマミノクロウサギは深刻な絶滅の危機にさらされている。アマミノクロウサギの生息地の調査は一九七七年に鹿児島県教育委員会によって実施され、一九八五年から八六年にかけてと一九八九年から九〇年にかけて奄美哺乳類研究会により実施されている。それによると、住用村ゴルフ場予定地及び予定地付近は高密度でアマミノクロウサギが生息している。実際、実際原告環境ネットワーク奄美の会員の調査により糞も確認され、営巣してる可能性も高い。従って、本件地域で大規模なゴルフ開発行われれば、ゴルフ予定地内のウサギの生息地が失われるほか、工事にともなう騒音、工事車両の出入りなどによりアマミノクロウサギの生息区域が著しく減少する。また、本件ゴルフ場予定地内で営巣していることはほぼまちがいなく、開発工事により巣穴が押しつぶされる、幼獣などが害され「損傷」される。

2 住用村ゴルフ場開発による原告オオトラツグミの権利侵害
 オオトラツグミは奄美大島のみに生息するヒタキ科ツグミ亜科の鳥である。日本産のツグミ類の中では最大で、全長三二cmに達する。背面 は黒褐色で、のどから胸にかけて黄白の地色に黒褐色のちいさなまだらがある。照葉樹林に生息し、おもに地上で昆虫やミミズ、植物の種子などを摂食する。「キョロン」と美しい甲高い声でさえずる。さえずりは他のツグミ、トラツグミとは大きく異なるため他の地域固体群と同所性となっても交雑しないと言われている。ほとんど姿をみせず、オオトラツグミの鳴き声が確認されるのは奄美大島の中でも名瀬市以南と加呂麻島でしかも深い森林がある地域に限られている。奄美大島では天然林がパルプチップの生産、「有用」樹種への転換などで伐採され、絶滅の危機が進んでいる。奄美大島全体で一〇〇羽ほどしかいないと言われており、トキの次に絶滅するのはオオトラツグミではないかと心配されている。昭和四六年に国の天然記念物に指定されている。絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律による国内希少野生動植物種に指定されている。
 オオトラツグミは住用村ゴルフ場予定地内でも鳴き声が確認され、生息している可能性が高い。これまでの調査によるとオオトラツグミの生息が確認されている場所が照葉樹林である。従って、オオトラツグミの絶滅を防ぐためには生息地と思われる照葉樹林の保全は急務である。本件ゴルフ場予定地内ではオオトラツグミの存在は確認されているにもかかわらず正確な調査のないままゴルフ場開発が許可されている。このまま、許可が実行されれば、オオトラツグミの生息に大きな影響を及ぼすことは明らかである。

3 龍郷村ゴルフ場開発による原告アマミヤマシギの権利侵害
 アマミヤマシギは奄美諸島と沖縄諸島の固有のシギ科の鳥。繁殖が確認されているのは奄美大島だけである。シダ類などの下生えの繁茂した森林が主な生息地である。全長三六cmほどで、くちばしは長く頭胴部はずんぐりしている。長いくちばしを土中に刺して小動物を捕らえる。夜行性、地上性で昼間は林床部でじっとしていると考えられる。地面 に営巣し、ひななどとともに歩行して移動する。警戒心が弱く、人が近づいてもあまり逃げない。マングース、ネコ、イヌにより捕食されている上、生息地である森林が開発により減少しているため、生息数が激減している。絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律による国内希少野生動植物種に指定されている。龍郷町ゴルフ場予定地ではアマミヤマシギの親鳥、ひなが確認されている外、営巣していることも判明している。本件ゴルフ場はアマミヤマシギの生息区域を侵害し、さらにこれを害する危険がある違法な開発である。

4 龍郷村ゴルフ場開発による原告ルリカケスの権利侵害
 ルリカケスはカラス科カケス属の鳥。全長は三八cmほどで、頭部やつばさの大部分と尾部は濃い青紫色、くちばしと翼端および尾端は白色、残りの部分は赤茶色をしている美しい鳥である。明治から大正にかけては羽を輸出するために多数捕獲されたという。ルリカケスは森林内の樹洞や岩の割れ目などに営巣する。この鳥も森林の伐採とともに数が減少している。絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律による国内希少野生動植物種に指定されている。
 ルリカケスについても明治から大正にかけては羽を輸出するために多数捕獲されたため固体数が極めて減少している。龍郷町ゴルフ場予定地内にもかなりの個体が確認され、夜間にも樹木の間でじっとしている様子が確認されている。龍郷村ゴルフ場開発により、ルリカケスに悪影響が生じることが明らかである。

5 このように住用村ゴルフ場開発はアマミノクロウサギやオオトラツグミの、龍郷町ゴルフ場開発はアマミヤマシギやルリカケスの権利を侵害さらに、後に述べるように種の保存法及び文化財保護法に違反する違法無効な開発許可である。

四 文化財保護法違反
 アマミノクロウサギは文化財保護法に基づく国の特別天然記念物に指定され、同じくオオトラツグミ及びルリカケスは国の天然記念物に指定されている。同法第八〇条は「天然記念物に関しその原状を変更し、又は保存に影響を及ぼす行為をしようとするときは、文化庁長官の許可を受けなければならない。」と定め、同法一〇七条の三では法八〇条に違反する行為の罰則を設けている。また、同法一〇七条の二第一項では「史跡名称天然記念物の現状を変更し、又はその保存に影響を及ぼす行為をして、これを滅失し、き損し、または滅衰するに至らしめた者は、五年以下の懲役若しくは禁固又は二〇万円以下の罰金に処する」と定めている。本件ゴルフ場開発によりアマミノクロウサギ、オオトラツグミ及びルリカケスの「保存に影響を及ぼす」ことは明らかである。にもかかわらず文化庁長官の許可が得られていないのは、文化財保護法第八〇条及び一〇七条の三に違反する開発許可であるし、各開発によりアマミノクロウサギ、オオトラツグミ及びルリカケスが「滅失し、き損し、または滅衰するに至」ることになるから同法一〇七条の二第一項に違反する違法な開発許可である。

五 種の保存法違反
 本件ではオオトラツグミ、アマミヤマシギ、ルリカケスが種の保存法により国内希少野生動植物種と指定されている。とすれば、各開発業者は「その土地の利用に当たっては、国内希少野生動植物種の保存に留意しなければならない。」(法三四条)し、「生きている個体は、捕獲、採取、殺傷又は損傷(以下「捕獲等」という)してはならない。」しかし、本件ゴルフ場開発が捕獲等に該当することは前述のとおりである。また、各事業者は環境アセスメントも実施せず、種の保存に「保存に留意」することなく開発を進めており、被告は開発許可を下ろしている。すなわち、本件各開発は法九条、三四条などに違反する違法無効な開発許可であるといえる。

六 森林法一〇の二、第二項、第二号違反
 森林法一〇の二、第二項、第二号には「当該開発行為をする森林の現に有する環境の保全機能からみて、当該開発行為により当該森林の周辺の地域における環境を著しく悪化させるおそれ」がないことが開発許可の要件として定める。森林の有する環境保全機能からみた場合、本件開発行為により本件各野生生物種の生息が害されるばかりでなく、本件森林に依存する多くの野生生物の生息を害する。環境アセスメントが実施されないままなされた本件開発許可は「当該森林の周辺の地域における環境を著しく悪化させるおそれ」があり、同法一〇条の二、第二項、第二号に違反する。

四 結論

 以上から本件各ゴルフ場開発に対する森林法一〇条の二に基づく被告の開発許可は公共性の欠缺、文化財保護法、種の保存法、森林法一〇条の2に違反する違法、無効な処分行為であるから請求の趣旨記載の判決を求めて本訴を提起した次第である。


証拠方法
 追って、提出する。


          添付書類
一 委任状       通

      一九九五年二月二三日

原告ら代理人
弁護士 籠橋 隆明
(以下、代理人の名前が続く)

 鹿児島地方裁判所 御中