奄美自然の権利訴訟判決の意義について(2001.01.30)


                                                            2001年1月30日

                                                               弁護士  籠橋隆明

1. はじめに
 2001年1月22日、鹿児島地方裁判所にて奄美「自然の権利」訴訟の判決が下された。提訴から約6年の歳月を要したこの裁判は奄美大島のみならず、鹿児島県下全域、全国各地の支援に支えられた。私たち、原告団、弁護団はここまで私たちを支えてくれた全国の人々に厚く感謝する。

2.奄美「自然の権利」訴訟は実に多くの価値を創造した。
 奄美大島の小さなゴルフ場反対運動が全国に認知されるようにもなった。開発予定地に生息するアマミノクロウサギの存在も裁判を通じて明らかになり、現状ではアマミノクロウサギに対する配慮なくして開発を進めることはできない。今回の判決は結果こそ却下であったが、原告らのこれまでの主張が反映し、実質的には勝訴といってもよい内容となった。

3.原告適格について
  (1) 原告適格の意味
 奄美「自然の権利」訴訟は森林法に基づくゴルフ場開発許可の無効確認、あるいは開発許可の取り消しを求める裁判である。行政訴訟といわれるこの裁判では法律上原告適格といわれる要件が求められる。これは法律的議論なので難しいところがあるが、要するに裁判をするためには事件になんらかの関係がなければならないということだ。事件に無関係な人が取り消しを求めることはできない。

 (2) 原告側の主張
 裁判ではこの原告適格が最大の争点となった。私たちは森林法が自然、特に生物の多様性の保護を目的としていると主張した。森林法が守ろうとしている自然の価値、生物の多様性という価値は自然観察する者、奄美の自然を愛し、保護活動を進める者の利益に他ならない。だから、原告(人間)は自然を守るための裁判を行う資格があると主張した。実際、こうした環境的利益を有する者に裁判をする資格を与えることで、自然保護訴訟は充実するであろうし、法の自然保護機能も適切に機能するであろう。

 (3) 裁判所の判断
 これに対して、裁判所は森林法が環境的価値を保護しているとし、さらに生物の多様性が法的価値として高められていると判断した。しかし、生物の多様性の価値はいまだ抽象的レベルにとどまり、個人の具体的利益とするところまではいかないとした。
判例のこれまでの流れからすれば、原告適格を基礎付ける利益は生命身体に対する危害を中心に考えられてきた。その流れからすれば、環境的利益をもって原告適格を認めることは困難かもしれない。
 しかし、本件で裁判所が自然の価値を生物の多様性という観点から把握したこと、さらにわが国の森林政策に生物の多様性保護が含まれるとしたことは非常に重要である。これまでのわが国の森林政策立場は自然を資源と見る傾向にあり生物の多様性という視点は必ずしも重視されてはいなかった。また、抽象的レベルとはいえ個人にかかわる利益としての意味を認めたという点も重要である。裁判において私たちは人間の原告たちがいかに深く自然とかかわってきたかを立証した。自然との関係で生まれる利益は特定可能な具体的利益であると私たちは確信している。つまり、本件では残原告適格を認めるあと一歩のところまできたともいえるのである。

4.「自然の権利」について
 (1) 自然の危機と自然の価値
 アマミノクロウサギ外三種の野生生物を原告として表示したこの裁判はもの言わぬ野生生物たちが人の営みによって滅んでいくことを是としない裁判であった。文明の発展を前に自然は余りに多くの妥協を強いられてきた。ふるさとの山河は切り開かれ、日本の多くの野生生物が絶滅の危機にさらされている。裁判所は自然が危機に直面 しているという認識のもとに、抽象的なレベルとは言え、生物の多様性という意味での自然の価値が法的価値にまで高められているとしたことは既に述べたとおりであるが、その上で、所有権の名による自然に対する支配ということ自体について疑問が提示された。これは現代法のあり方を根本的に問うものである。環境の世紀である二一世紀において私たちが目指す環境的国家はこの所有権のあり方に対する反省無くしてありえない。自然を所有の客体としてのみ理解する方法は生物が地球の仲間として生きていることをまったく無視してしまうことになるからである。

 (2) 「自然の権利」の意味
 「自然の権利」とは自然に法的価値を認め、それを人や環境NGOが代弁するという考えを言う。自然に価値が認められる、あるいは自然が守られるということは生態系という生物と非生物の相互の関係が維持されるということである。アマミノクロウサギが滅べばその地域の生態系の重要な構成員が失われることになる。生態系としての同一性は失われるため、自然生態系が維持されたとは言えなくなる。奄美の森が奄美の森のままでいるためにはアマミノクロウサギの存在は必要なのことなのだ。

 自然の価値とのみすればよいものを何故私たちは「自然の権利」と名づけているか。それは、自然の価値を守ろうというときに、自然にとって何が一番よいか、何を行ってはならないかを自然本位に考えようという姿勢があるからである。私たちの行動は自然のための行動である。子供の権利を親が実現しようと言うときに、子供の自由な成長にとって何が一番大切かを考えるのと同じように私達は自然にとって何が一番大切か考えようと言うのである。判決で裁判所が生物の多様性を法的価値として承認したことは、結局生物の多様性(生態系)の価値を実現しなければならないと言うことであるから、「自然の権利」にとっても意味あることである。裁判所は法が自然の視点から環境政策を実施するように求めているのである。

 国際社会の中で持続的開発という言葉が使われて久しい。私たちは自然生態系を破壊しない範囲で生活のあり方を見直さなければならない。私たちの祖先は自然を畏れ、敬い、時には友人として扱ってきた。私たちには自然と豊かに付き合う作法があった。裁判所は生物の多様性という価値が法的価値と認められるに至ったのも原告らを初めとした自然を愛するものによる努力の成果であると指摘した。「自然の権利」訴訟はかつての“よき作法”を現代の法制度の枠組みの中で何とか再生、応用しようという試みなのであるし、今回の判決はそのような原告の問題提起に対して誠実に答えてくれたとも言えるのである。

                 

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